格差社会って権力のない大学のプロパガンダなんだよな

俺、旧宮家なわけだけど母親が田舎の農家の出身でもの知らないのよ。

親父(70さい)も一般市民として工場で働いていた時期があって、結婚して爺さんの後を継いだんだけど、俺がガキの頃は勉強しろ!っていって今の中国のガオカオみたいな感じで、母親に「勉強見てやれ!」って言って子供部屋でふたりで勉強したの。

まあ、一般的に「勉強を見る」というとエジソンの伝記みたいに学校で先生がみんなに教えるのではなく家庭で親がマンツーマンつまり1対1の個別指導で教えるほうが伸びるみたいな話を親父は思ってたと思うんだけど、うちの母親は「見てた」つまり正座で俺が本を黙読しているのをとなりで正座して黙って見てた。監視の意味でサボらないというのは俺が真面目に勉強机に向かう動機にはなってたけど、家庭教師とか塾と違って勉強ってのはひとりで本読んでやるものだとどこか思っていて。

そんで、まあその話はいいんだけど、近年労働賃金が上がらない社会問題の切り口として結婚して親の収入が低いと大学に行かせることが出来なくて子供が賃金の高い仕事に就けないみたいな論を読むことがあるんだけど、大卒者が給与面での優遇を受けるのって大学での勉強が生産性を高めるからではなく、単に社会全体が豊かで高学歴者を遊ばせるだけの余力を持っているかどうかだと考えるのね。

お医者さんとか弁護士とか教師が国家試験を通った有資格者にしか許されておらず、それらの職が高所得である、みたいな比例原理はあるかもだけど、学校の先生って最近そこまで高給ちゃうし。

そもそも大学って色々あるけど、修士とか博士が法的に何らかの利権として認められているわけではないと思うのよね。

だから大学を出れなくなるから高賃金がもらえないって論理は成り立たなくて、労働人口が増えて経済が活性化して高利でモノが売れるようになってはじめて賃金が上がるわけ。それを学歴にすり替えた論理が展開されるのって、皆が経済の原理に気付いたら学歴による格差って実在するものでなく就学児童と保護者の抱く幻想だって分かるから、活字を書ける立場の人間がプロパガンダを張って大学の進学率を維持しようとしてるの。それを書いているのは大学教授とか関係者とか授業料や文部科学省から降りるお金で暮らせる人。

まあでも、今そこまで書いてメリット分かったわ。教授とか教諭になれば文部科学省からカネ降りるわな。

だけど、大学の授業料300万円って、ちょっとした小資本に成り得るお金よ。ヤフー不動産とかで安い家探してみ。300万あれば家買えるから。株でも買える。教科書なら1000冊位買える。まあでも、お医者さんに限っては大学必要だと思うし受験もいるかどうかわからないけどあって良いと思う。そんで、家の近所のお医者さんは地域で開業医をしているわけで、大和郡山市には図書館はあるけど大学はなくて、中学高校もちろん小学校もたくさんあるから、高校生にお小遣いを300万円あげてスーパーの喫茶コーナーで勉強して図書館もあって、街全体を大学みたいな雰囲気にしてしまったほうが良いのではないかという話をしたんですよね。教授はお医者さん兼任でいいやん、みたいな。

そうこうしている間に母校の奈良学園中高一貫の男子校から大学まで付いた共学校になって、それで大学は何の学部があるかというと看護学科だったはず。三郷だけど。

まあ、歴史から言うと大学って左派思想を生み出してきた組織だと思うんだけど、身分のない公平な競争を謳っているだけあって受験に勝った国公立の旧帝国大学帝国大学であったにも関わらず左寄りで、反対に受験に落ちても授業料払えば入れる低偏差値の私大には右寄りなとこもあるらしいのね。

左は革新、右は保守と捉えていると右が前進する政治はねじれに思えて野党が国会で法案の反対票を入れていると政策を前に進めるきはないのかと思うんだけど、右にも保守の意味以外に漸進(左の急進の対義語ね)の意味もあって、まあゆっくりなら進んで変わっても良いと思っているわけ。そろそろ、左から革命だと無力な叫びを上げている間に右の方からゆっくり進んで、社会ってもう左派思想が思い描かれた時代の先端よりも先に来ちゃってるんじゃ無いのかなと思うんです。

実現されたリベラルというか。


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