科学力で勝負事をすると論理の上では互角になる

科学とは客観、論理、実証の3つが揃っていることです。

実証だけではダメなのがポイントです。よくあるビジネス本に大金を持った人が「これで勝てる!」あるいは「俺はこうして勝った!」という本を読んでも上手くは行かないのです。それは「勝った」ということがその人の主観で成り立っているからです。

対して科学は、誰がやっても同じように行く知識の共有という約束があるのです。

だから、雌雄を決する勝負事が論理的に何らかの要因で勝者と敗者に分けられるとすると、参加者同士の体験が同じでなくなるので、そもそもが科学と勝負は相容れないのです。これは最初に気付くべきでしたが、長らく勝負事を科学しようとしてきました。

しかし、もし勝負に引き分けがあるのなら、科学的に引き分けまで間違いなく持ち込むことは出来るだろうし、勝負に科学を持ち込んだ側と、非科学的な挑戦者がぶつかると科学のほうが勝つだろう、科学に勝って欲しい、勝つなら運否天賦でなく科学的に論証したい。こう考えて今までやってきました。

俺はそう考えるのですが、世の中まだまだ「天は二物を与えず」「二兎を追う者は一兎をも得ず」という民話が信じられ、何かの特技を持っているものが別の界隈の人をも負かしてしまうのを組織的に封じて信仰心を集めようとする向きの団体戦に発展する動きも感じ取られます。簡単に言うと「俺の言ったことをウソにするのか!」という恐喝や、最近ではヤクザも狡猾になって恐喝ではなく嫌がらせをしてくるわけです。

俺は高卒でフリーターをしていた時は地域のゲーム大会で優勝常連でしたが、復学して専門卒になって就職してから勝てなくなり、当時はそれを仕事で忙しいからゲームをする暇が減って腕が落ちたんだと考えました。

しかし、そうではなく給料をゲーム以外のところから貰って来ているので「こいつを負かせば金になる」と標的されて、誰もやらないようなゲームでも相手をしてお金を取る人が用意されたということが現実です。

ゲームセンターにお金を払うから回し者を雇って相手をさせる資金源を与えてしまうわけで、自分が勝つためには貯金をしてゲーセンにお金を入れず、極端に言うと自由公平な世の中でなくみな働いて日銭を稼ぐので目いっぱいにして、ゲームを出来るのは自分だけという状態にしてしまえば間違いなく勝てるのではないかとも考えました。

だいたいのゲーム大会は東京で行われるものです。それをもし自宅で毎日世界大会をすれば誰も来ない日は自分の優勝で、自分の家から近いホテルと契約して、遠征者はそこに泊まるように促し、JRやJALとも契約してバックマージンを受け取れるようにしたら、挑戦者の数だけ自分が儲かって、儲けた分から損をしないように賞金を出せば挑戦者も集まるかもしれない。

こう書くとバカかと思われるかも知れませんが、奈良で暮らして東京に遠征に行って遠征費宿泊費移動時間などを東京在住と比較するとやればやるほど損をするので、東京川の視点に立った時に向こうの人が考えていることを考えると、そういうことなのです。

科学はどこに行ったと思われるかもですが「台を挟んでふたりで戦う」ということをゲームの始点にするとゲームの中で勝負が決まっているように思えますが、どういう状況で勝負が始まるかまでの条件が既に不利なので、その条件をどれだけ近づけるかと考えると俺の家で世界大会のほうが近い条件だと考えるんです。

自宅で大会をして撮影した動画をサーバにアップロードして、視聴者が集まる。実証的に足りていないのは、その自宅でのゲームを宣伝するに当たり「世界大会」と銘打つことだけは控えたことくらいです。

そうだな、今からでもそうしようか。

https://youtu.be/sCbS6NNnUr8

カプエス2 世界大会ミヤザワA豪鬼

よし、これで良い。


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