「まあ、手品みたいなもんだな」とは言ったものの

コンピュータソフトを売るというのも難儀な商売である。

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パソコンソフトをパッケージ販売するための製造フローは図の通り。

まず、ソースコードとリソースを作成する。

ソースコードはテキスト形式でコンパイルすると実行ファイルになる。

この際コマンドプロンプトのバイナリでなく画面や音声を指すのがリソース。

アセンブラのデータとコードで言うとデータがリソースでコードがソース。

これらをコンパイルしてリソースパックすると実行ファイルになり、これをメディアにコピーする。

ソースコードを書き上げることとリソースを作成するには人的労働力が必要で、それらも原本が出来るとコピーできるのだが、普通はバックアップ以外のコピーは取らない。

なぜなら、ソースコードとリソースの組み合わせだけで実行ファイルを組み替えることは比較的容易であるが、元本を組み上げる労力を人的資本で賄うためには給料が支払われることが通例で、ソースコードのコピーを無料で取られると払った給料が無駄になる。

では何のために給料を払っているかと言うと、コンパイルとリソースパックして出来上がった実行ファイルをメディアにコピーして利益を乗せて売ると儲かる見込みであるからだ。

このとき、若い頃は社長になったら働くより儲かるから安く雇われているだけだと考えていたが、実は多くの会社はソフトウェアに販売利益以上の資金を投資しており、多くのソフトウェア技術者、絵描き、音楽家は太っ腹で先見性のある社長さんに食わせてもらっている。

また、コピーすればタダのものをメディアに詰めて売って儲けているというのも同じ理屈で販売数が伸びれば利益が上がるが、多くの場合は赤字である。コピーされた分だけ赤字は膨らむ。もともと、そんなふうに投資をすること自体が金持ちの悪趣味であり成果物の実行ファイルをコピーで頂くのにねずみ小僧的な快感を覚えているなら、それもまた投資家の思惑なのである。お金をお金のままバラ撒いても悪銭身につかずであるが、文化的なソフトウェアがコピーされて増えるのは有益であると考えられている。

儲けて元本が回収されれば、それを利用してもっと有意義なソフトに投資される。

この仕組みがわかる以前は赤枠で囲んだ改変の作業で育ててもらってお給料をもらっていたので、前述の誤解で「ラクで儲かる」仕事にありつけたと感じた。そうして「どうして儲かるの?」と聞かれたら、図のフローの「改変」の部分だけを指して「手品みたいなもんだな」と笑っていた。

この「手品みたい」に噛み付いて「絶対インチキだ!暴いてやる!」みたいに頑張るひとがいたので失言だったかなと思ったのだが。ダイソーで手品の種を100円で買ったからと言って、パフォーマンスの腕がなければ楽しませることは出来ない。パソコンもプログラムの本も手品の種ほど安価ではないとは言え市販品であるから、誰にでも分かると考えていたが、そのレベルになるのに嫌味を承知で言うと数学やC言語からC++の本で通算すると結構に勉強しているのである。

もともと、狙いは面白いものを作って配ることで、副次的に儲かったらもっと面白いものを作るのに投資する。ソフトウェアへの投資は社会利得であるから、それを避難や妨害するのは基本的にお門違いなのだと考えている。


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