俺は子供の頃から親に与えられたファミコンの森田将棋以外で数えるほどしか駒と盤で将棋を指したことがなく、詰将棋の本を読んだり新聞の将棋欄を読んだりテレビで将棋を見てただただ棋士に憧れるのみだったんですけど、その結果が相手がいないなら自分で相手を作ろうとコンピュータ将棋の自作になり、それからアプリの将棋ウォーズで通信対戦で指したのがたぶん初めてのマトモな将棋。
なにしろ指したことがないものだから強いのか弱いのかも知らなかったけど、5級というのはまあそんなもんだろうなと。まだ対局数は100局に満たないけど、昨今の若手棋士のスピード昇進のニュースとかでなくオッサン棋士が若い頃何歳で入門して四段デビューするまでの間に7年とか8年とかかかっているという年表を読み解くと今から始めるのは本気を出すのが遅すぎたという感じ。
どちらかというと、子供の頃に親がもし将棋会館とかに連れて行ってくれていたら、もっと早く諦めが付いていたかもしれないし、中学高校くらいで勉強と将棋の道を迷っている初段の人と指して、駒を全部取られてうなっていた記憶もあるのですが。
そんな俺でも色々の人と指すと駒を全部取ってしまうこともあるけど、大体そういう勝負って投了しないで考えるほうが悪いという感じなんですよね。
俺がほとんど指したことがないのに、何故妙な自信を持っていたかというと、小学校の時に転校してきた村上くんという転勤族のサラリーマンの親を持つ優等生を相手にルールを覚えたすぐに勝ってしまって、近所の大人をびっくりさせたという出来事があったから。
村上くんの親も策士で、子供に入門書と中級書を二冊を与え、中級書まで進ませてから同級生に入門書をプレゼントして将棋に誘い、そうすると自分の息子つまり村上くんが勝てるという作戦だったんだろうなと思うんですけど、俺は入門書をくまなく読み、いちばん初歩の棒銀戦法を信じて試してみると、勝ってしまったんですよね。
このへんが俺が何事も背伸びして応用書や実用書を手に取る前に入門書を買って読んで自分で実践してみるのが近道であるというような考えを持っている根っこなんだろうなと振り返るわけです。
村上くんからのプレゼント「将棋入門」は今でも部屋の本棚に置いていて、俺が何となく初段を目標にしていたのは村上くんが持っていた本が「将棋初段への道」だったからなんだろうなと思うわけです。一方で家の親父が俺に買ってくれたのはファミコンの森田将棋。相手もいないで座敷でずっと巻き戻したり進めたりしながら、何とか1回勝ってそのまま放ってしまったような記憶があります。
相手の思考時間を待っている時間が記憶の殆どですよね。