「失敗は成功の母」が行き過ぎたポジティブスパイラルの罠

先日、将棋の子供教室を開いている方が「子供は勝てる将棋をするために弱い相手とばかりしたがり、なかなか上級者にぶつかって負ける経験をしたがらない。強くなるのはどちらだと尋ねると子供たちは負けたほうだと答える」という話をしておられた。

この問題は教育の本質を突いている。先生が訊くから忖度して美学として負ければ強くなると言ったほうが気に入られると思ってそう答えるが、子供たちの本心では勝つほうが良いと思ってそうしているのではないだろうか。そういう子供たちは成功する。

問題は、失敗は成功の母をお題目に負けを怖がらず挑み続けるような性質の子供である。中学生くらいの俺はまさにそういう罠にハマっていた。ゲーセンでストリートファイターに夢中で、友達同士では勝っていたが、すぐに周りの同級生は俺を恐れて挑もうともしなくなった。

では強かったのかと言うと、ブームが過ぎたあとふらっと国技館の地域代表を取って本線では1回戦負けだった。既にゲームは大得意のキャラが強いゲームから新しいゲームに替わっていて、前のゲームだったら最強だったのにな、とか今のゲームで強いキャラの方に乗り換えていたら優勝だったろうと後々になだめられた。

敗因は色々とある。書き上げると、結局は周りの人はお金を取るためにゲームセンターをしているので、勝って強い子には色々と文句や嘘を吹き込んだり追い払ったり皆で相手しないで放って置くなど「勝たせない」のだ。対して負けてお金を払っていると「強いねぇ!」などと褒めそやし、どんどんお金を使わせる。

これが例えば相撲のように勝つと賞金がもらえて地域にお金が返ってくるというようなシステムだと、勝たせる方に周りも動いて良い結果になるのだが、当時は東京で勝手に大会をしているだけで優勝者がトロフィーとアケコンをもらっても、地域には何の見返りもない、国技館には東京近郊からわんさと人が集まりごった返していたが、奈良から来たのは俺ひとりで応援などもなく、野次を飛ばされ不利に立たされた。アウェイというやつだろう。

俺がしつこくゲームを続けたのはそれが国技館で負けたからだろう。失敗は成功の母である。小学校時代は塾に行って成績もそこそこで、私学に進み勉強はまあやれば出来ると思っていたし、スポーツは持久力トレーニングのランニングがきつくて走らなくて良いバレーボール、通学に自転車で坂道をのぼったので脚力はまあまあ。

だけど、自意識でいちばんに取り組んだのはストリートファイターだった。

これは今でも後継作品のカプエス2というソフトで趣味のひとつとしているが、そのこだわりが俺の人生の敗因そのものだと思っている。世界チャンピオンになったこともあるが、旅費が賞金より高く、ゲーセンでバイトした以外にストリートファイターで儲かったことなどいちどもない。それでも、負けるから続けていたのだ。

20勝1敗くらいでも、ゲーセンが2100円儲かって俺は100円損である。学校では読み書き計算の他にじゃがいもの育て方など教えてくれたが、お金の儲け方は教えてくれなくて、教育車の中には算数や数学の基礎力いわゆる地頭が成功者に共通していると言うが、それは世の中が資本主義自由経済競争社会だから、そろばんが辛うじて役に立っているだけのことなのである。

近頃は少ない小遣いを何に使うか考えながら貯金を続けてゲームは家で電気代だけで遊べるものを選び、勝敗を数えて勝ち越せるゲームの中から自分の得意を見つけて、勝っている試合の勝因分析をしている。勝って兜の緒を締めよである。負けた時ももちろん考えるが、一度も負けないように事前研究ができている状態で臨むから勝てるのである。

負けは悔しいもので、なるべくなら経験せずに済ませるほうが幸福で、負けが怖いものだから勝つために考えたり準備したりするのである。対して商売というのは勝ち負けのうちお金が儲かる方に人は誘導する。勝負師の妻なら夫を勝たせるように発破をかけるわけだし、ゲームセンターなら負けたほうがお金を払うわけで負けている方をもてなす。

ことは冒頭の将棋教室である。果たして、その教室はどういう課金制度なのだろうか。先生も子供たちの親がお金を払ってくれるから教室が成り立ち、藤井聡太に憧れているなら勝ってもらわないといけないはずで、それならば教室も良いけどコンピュータの購入という選択肢もあるだろう。

家でコンピュータ相手に人知れず負けを重ね、将棋教室では勝ちまくり。こういう子供が出てきたら、負けても頑張ってもらわないと子供の数は減るだろう。せいぜい頑張って下さい。