リッチマンプアウーマンの再放送を見ているわけだが

株主総会でスコボコにされる日向徹にバイトで株を買った青年とやりとりするひと幕。

株主のみなさんの野次は「カネ返せ!」なわけで、俺も近頃ゲームに使ったカネを何とか取り返せないかと画策して、少なくとも今まで以上は払わないという姿勢を取っているが。

ゲームにカネをバンバン使っていた頃は、他力本願でもっと面白いものが欲しいとオファーしていたんだよな。それに対して個人的な顧客分析をされて、俺にとって面白いゲームというのは1990年代に本当にたくさん出ていたんだ。

けど、俺はそれらの全てを受け取るには至らず、バイトして安売りになった中古のソフトを買い漁って家でつまらないゲームをして、ゲーセンでも遊んでいた。1本買うだけでも充分に面白いゲームが出始めた時代にすぐ飽きて捨てられた中古のゲームを買う。つまらないゲーム、ゲームってのはせっかく買ってもすぐ飽きるもので初めからその程度の期待しか持たずに安売りのゲームを買っていた。

そしてゲーム会社の株を買ったこともある。PS3の時期に世の中FPS系ゲームばかりの波がXBOXからPS3に寄ってきた時、売り出されているものが全部同じに見えてカネをゲーム機台以上に株に使えば面白くならないかと考えていた。

ゲーム制作の下請けを専門とする業者で働いてみたこともある。ゲームがジャンルごとに固定概念化していて、同じゲームの絵を入れ替えるだけのシステムが既に組み上げられていて、ちょっとやそっといじっただけではゲームのルールの骨格は変わらないと言う現実も知った。

ゲームは「面白さ」という尺度で測れるものでなく、画面があって音楽があってプログラムによるルールや手続きやアニメーションが施され、マスに向けてリリースされているものをいかに自分の好みに合うものを選択して受け取り、その中に楽しみを自分なりに見つけられるか。

いまでこそ関係が希薄だが、目の上のたんこぶに思っているゲーセンの古い常連がいる。俺が中高生だった頃に同級生と遊んでいると、そこへつるんで先輩風を吹かそうとするが学校の先輩というわけでもなく、働いているおっちゃん。

俺が大学に行けずバイトになった時は一緒にメシなど食いに行ったが、中途採用で会社員になりスーツを着てすっかり社会に馴染んでから、一旦レールから外れた人生であることを知っているものは弱みを握ったかのように絡みつき、ただただ邪魔に感じたこともあった。

それでも、どうしてその面倒な先輩と仲良くなったかというと、そこにゲームがあって充分に上手だったから。

日向徹の失脚の原因もまた古い友人の嫉妬による謀略であるわけなんだよな。

まあ、まだ考えがまとまったわけではないけど、ゲーセンで遊んでいたおっちゃん兄ちゃんを差し置いてひとり勝ちとか立身出世をして無かったことにすることは難しいのかなと。ファミコンソフト「たけしの挑戦状」で最初に離婚をしておかないとお宝を目の前にゲームオーバーになる、みたいな話と似ているような気がする。

「目をつけられている」という言葉まさにそのまま意味通りとでも言うか。一体いつまで絡まれるんだろうとと思うときもあるが、この街で暮らしている者にとっては変わっているのが俺の周りだけで、現状の俺は蜘蛛の糸が切れたカンダタのようなものかもしれない。

縁切りしたいと思ってもなかなか上手く行かなくて、俺が新しい遊びを始めるとどこからともなく聞き付けて似たようなことを真似しているとか。最後のケンカの俺の口上は「アンタは俺の何なんだ?」だったな。その先には相手方の「いつから口ごたえするようになってん!」があって、育ちがよく敬語を使っていた中高生の俺を露骨に目下に扱って子分か何かだと思っているオッサンらの勘違いはどこかで絶たなくてはいけない。学校や会社の中でこそ年功序列は生き残っているが、社会人同士になったら年の差はあれ対等でありたい。

このへんもまだまとまりきらず矛盾もある。このへんの人間関係に病巣が残っている気はする。


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