今日のカルドセプト(得意技を逃してしまわないように)

カルドセプトを諦めずに続けると決めた。

近頃風寄りにブレ気味だったが水属性の得意技を逃さないように組んだ。

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あとは戯言。

先のエントリで山札が分からなくなるまで良く繰られていることを前提としないと確率による推論は役に立たないといことを挙げた。

では、実物カードでするMTGをインチキで勝って果たして嬉しいか。少しは嬉しいだろう。しかしそれでは本当に詐欺師か泥棒に身を落とすことになる。

俺は路上で喧嘩を売られ店の中に逃げた相手を捕まえて殴ったことで威力業務妨害で逮捕されたことがある。だから清廉潔白というわけではないが、喧嘩の原因が行き過ぎた正義感であることを警察の人も分かってくれている。すべての事情を知らない野次馬から「殴った」と「捕まった」が噂として広まったが。

ゲームで勝つのがインチキか腕前か運否天賦か、インチキをしないのは清廉潔白を保つためかというと、全てそういうことでなく「良く繰って混ぜる」というルールの中での最善策の研究がテーマとして面白いから続けている。

 

先日机のノートパソコンをマックとウインドウズの2台体制にして、久しぶりにウインドウズのトランプゲームを遊んだら、それでも充分に楽しかった。

 

ひとり遊びとして確率とゲーム理論での研究は面白いが、競技としてみるとつまらない部分も多い。特にリリース最初の大会でなくレギュレーション決定後の2回目以降の大会は1回目の優勝デッキのレプリカが大量に参戦する。従って、独自研究して成果を出すチャンスが有るのは特に1回目に重点を置くべきなのだが、これが不思議な事にMTGのネクロディスクもカウンターポストもどこからともなくわいて出てあっという間に同じデッキの人が現れ、作者不詳なのだ。

「研究を突き詰めれば同じ答えになる」を言い訳にコピーを持ち寄るものは多い。恐らくだが、俺がブックをネットにアップするのを趣味としているように、競技マジックには辟易しながらもデッキを作って遊ぶのは面白く、ネットに情報のみをアップしてそのデッキが大量にトーナメントに普及するのを楽しんでいる誰かがいるのだろう。

あるいはMTGの公式サイトにもデッキ指南の講座があるが、匿名の口コミによる強いデッキの情報は公式のアナウンスと違って、参加者となってそのデッキと自分の名前が結びつくことで後追いでない優勝者として名が残ると考えて盗むものが多いというか。

 

大学の研究室での将棋研究は「コンピュータがプロに勝ったのだからもう充分に研究成果は出ている」として打ち切られた。しかしこれは、成果が出たというのは格好のやめさせる口実であり、ゲーム理論研究というのも科学技術研究費で遊ぶ口実なのである。

 

大人になると遊ぶのにも何か言い訳の必要な世の中なのだな。俺もカルドセプトの研究としているが、10戦10勝で充分だろうと打ち切られようとしている。またモノホンの科学者筋から何の新規性もないのに研究という言葉を用いることは不評かもしれない。いや俺のことかどうかは分からない言い回しだが。