昭和後期のハイスクール

俺は小学校時代に塾の宿題も学校の宿題もサボって成績は1番だった。

成績がよかったらそれでいいじゃない、と自分勝手に本を読み好きな勉強をしていた。

しかしそれでは塾の先生のメンツも立たない。親も心配してスパルタ式の塾に変えた。

それから大好きなファミコンも取り上げられ、小学校六年で勉強はいやいやになった。

それは高校三年まで変わらなかった。厳しい先生に叩き込まれる訳のわからないもの。

そういうのが固定観念化していた。

 

勉強がまた楽しくなったのは専門学校でプログラミングを覚えてからだった。

自分で本を買って、学校は行ったりサボったりで自分の好きなように勉強した。

 

最近では自分は大学を目指していて、落ちたから専門学校に行ったと思われている。

もう、24年も前のことだが、高校の先生に将来何になりたいと言われてゲーム業界で働きたいからそのためにはどんな大学に行けばよいかと進路相談して、困った顔をされたのは覚えている。

その頃の世の中は受験戦争と言って、大学の合否が人生の分岐点で、みんな高校生は大学を目指して勉強させられていた。まだ世の中を知らない高校生に大人が将来は大学で決まると決めつけて学校の勉強以外のことをシャットアウトするような風潮があった。

これがおかしくて、大学というのは権力に縛られず自由意志で学ぶところである。高校でも本来は義務教育ではない。自由意志で勉強するのだが、この受験戦争の風潮は高校での勉強を大学受験での点取り競争に変えて、その頃に不良をして高校中退したりバンドをするのが自由というイメージがあった。もともと、高校は義務教育ではないので、勉強するのが自由なのだ。

勉強して権力のおかしさに論理で行き着いたものが学生運動などをして、それを乗り越えた世代では学歴で身分に差がついている。

それは企業が大卒者しか内定しないで高校大学就活とふるいにかけて庶民は蜘蛛の糸を登らないと幸福に成れないというような発想にいつの間にかすり替えられ、その構造が権力化していたのだ。大学教授が赤を黒といえば赤は黒になるというような大学の権力化である。

 

今はネットがあるが、ネット以前にも本屋や図書館はどこの街にもあって、街の中で本屋や図書館に行くかボウリングに行くかはみなが自由に決められる。

テレビで以前に「アメリカでは大学の入学は自由で進級が難しい、日本では大学に入るのがそもそも難しいのは何故か」などと声を上げている人を見たが、日本でも高校から進級点があって、基本的に皆が真面目に勉強しているから落第が珍しいだけの話で、制度自体が日米でそこまで根本的に異なっているわけでもないと思う。

だから、その動機について「周りがみんな進学するから」という悩みを伴った勉強だったとしたら、俺は義務ではないから辞めるのも選択肢として有り得るのではないかと言いたい。

ただし、現実として会社求人で高卒以上や大卒以上を条件としているところはまだまだあるから、コロナウィルスの問題が解決した後も世の中変わらなかったら、やはり就職の選択肢としては狭くなるというリスクは有る。

自分で進路決定出来るのであれば、それに突き進めばよい。


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