カードのマジックにおける「ゆるいイカサマ」と確率と

 過去記事の計算式を見直すと更新したくなった事があるので。

miyazawa.hatenadiary.jp

まずはaターンに手札がn枚になる確率xを求めたいのだが、先立ってaターンに山札の土地がm枚でそれを引く確率yを求めてみた。 

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ココからは昔にやけっぱちになって書いた記事の再掲だが、計算機科学で乱数がいかに綺麗に散っているかということと、デッキが良く繰れているかということは違う。デッキが良く繰れているということは適度にまばらであることであり、極端に言うと山札の中で呪文と土地が別々に固まることも有り得る訳だけど、それは良く繰れているとは言い難い。

ゲームを健全に進める上で、固まって呪文だけや土地だけを引いている時はマリガンという引き直しのルールがある。それは度重なるルール改定で7枚引いてダメだった時はもういちど7枚引いてからいらないカードを山札の下に入れるルールになった。

このルールは本当に良く出来ていて、一般的なイメージの「カードがまばらに繰れている」という状態を目指してシャッフルすると、健全なゲームになりやすい。紙のカードで遊ぶマジックにおいてシャッフルはイカサマと公正の鬩ぎ合いで、裏向けてもカードの配置がわかるエスパーには常人は勝てないという話を神経衰弱を確率とゲーム理論の角度から攻めた人が学会発表しているのを人生で一度だけ行ったことのある学会で見て、その論理にガッカリだったのであるが、イカサマを前提にするわけでなくカードがほどよく散ると仮定しても確率で計算したことは役に立つ。エスパー的能力の獲得と確率による標榜の両輪でMTGをもっと煮詰めたい。

近頃MagicOnlineのアカウントを取ってログインボーナス的に貰えるカードだけで勝てないかと趣味的な取り組みをして、あらためて持論に甘いところはなかったかと考え直してます。

 

<<ココから過去記事>>

 

記憶を辿っていた。

モノを書くには読んだ人の知識になるものが望ましいが、MTGのデッキで確率的な勝率の高いものと確率的にはそれより低いものが戦って、実際問題として確率の低いほうが勝ったという既成事実があり、確率だけでは勝てないとか、運を掴む必要があるとか、そういう当たり前の話をするだけでは読まされる方も不服だろう。

確率だけを考えても、結果は身につかない。ギャンブルを打つより打たないほうが期待値は高く、堅実に生きるべきだという人生訓を語る人は多いのだが、打たないでも研究と称してギャンブルの必勝法を考えてきたこれまでの人生、もっと働けばもっと貯金が増えていたかもだが、生活に充分なお金を備え、いい年こいて親に甘え、それでも考えた。

そして机上で考えるだけでなく、カードを繰っていると強いデュエリストの繰り方にそれぞれ癖のようなものがあり、日本でMTGが流行る前から仕入れてショップをしていた人が今から始める若手だった俺に「熱心にやってるねぇ、真面目だねぇ、俺らのときなんて来る前にチャネル2枚でファイヤーボールを挟んでから繰るとか、そんなんだったよ」と笑い、こちらも笑いながら「そんなんインチキじゃないですか」と返した。

MTGの大会会場は1000人規模の収容人数の会場が選ばれるが、ジャッジは10人程度。ランキング上位のマッチアップは特に厳しく担当のジャッジが横で睨んでいる。そして、勝てない時に何かのインチキではないかと勘ぐるのは簡単だが、それを見抜き、そして見抜く以上に身に付け、遂行するのは容易ではない。

例えばデュエルをした後に、テーブルに並んだカードを裏向きにして片付ける時にスペルと土地の比率がおおよそ2:1のデッキでスペル、スペル、土地、スペル、スペル、土地と順に並ぶように積み込んでから繰るのは本当に良くある行為でイカサマ行為ではあるが厳しくは取り締まられない。積み込んでから何度か繰ってもその配置のバランスはある程度保たれて、極端な事故にならず、健全にゲームを進められるからだ。それだけでは勝てない。

では、ある人は土地破壊デッキを操りながら、墓地にたまった土地破壊カードを繰らないでそのまま束にしてテーブルから片付け、軽く繰ってそのまま次の試合に臨み、見事に先の試合で使って墓地に固まったカードを束で引き、何ターンも連続で土地破壊カードを繰り出して相手を完封して、土地破壊が強いと噂が立ったが解説の人が「あれはゾーンによるものです」と意味不明な説明をしていた。明言を避けるために「ゾーン」という単語を咄嗟に出したのだ。

ならばマルチカラー環境で多色のカードや色違いのカードをテーブルから片付ける時に、ボガーダンの槌を山2枚で挟み、白騎士2枚を平地で挟み、マルチカラーをデュアルランドで挟むようにさり気なく片付けて、いちどリフルシャッフルをして軽く繰ってみると、これが何と軽く繰ってもなかなか事故らず強い引きとなるものであった。

これは確率で考える時に何事も完全に「同様に確からしい」と出発するのが間違いで、カードの束はデュエリストが繰るので、そこにどれくらい人為的に積み込むか、積み込まない人は反対にバカな事故死をして、俺は特に公正でありたいと思う故に裏返してよく繰っていたので単色理論に行き着いたりしたこともあったが、反対に相手の不正を立証して不戦勝を撮るには「繰っていない」と指摘するには不十分に相手は軽く繰っており、自分でもその程度のことがカードの束を操って出来るようになってきたら、そこで納得がいった。

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