建前だけが立派な左の人にガッカリしている

労働組合とか、あるじゃないですか。

20代は我ながらよく働いたと思うんですよね。まあ、働くと言ってもデスクワークでプログラムを組むのが主な仕事だったので「そんなん仕事じゃない」って、スマホが普及するまでパソコンというのは得体のしれないもので「プログラムを組む」なんて言うと雀荘で土方のオッサンに囲まれて「プログラムって何やねん?幼稚園の運動会のプログラムか?」などといじられるわ、反対に専門学校で10行くらいのC言語を覚えただけで「プログラムなんて簡単だ誰でも出来る単純作業だ」などと触れ回る人もいて、そのふたつを合算して「ちょっと学校で習ったら誰でも出来る簡単なことで立派なスーツを着て会社というところに行けば肉体労働より大きな金がもらえる」という話に決着したんだと思うんですね。

しかし実情としてはコンピュータが黒い画面に文字を打ち込むCUIから画面に出たアイコンをポチポチするGUIに変わる頃に全て自動化された一連の手続きに判断が難しいことを途中で止めて人間の意志が介在できるように画面やボタンが用意されるようになったんですよ。自動車の教習所の予約システムなんかはDOSの画面にタッチパネルのGUIが付いていて、教習生のスケジュールと合わせることが出来るようになっていて、今思うと先進的でしたよね。

そうすると、プログラムを組むと行っても一連の手筒機を順次実効するだけでなく、使う人が押したボタンが正しい順序であるかとか、途中でやめられたら手続きを巻き戻すとか、便利なはずのコンピュータに人間の失敗などを見越した無数の手続きが必要になって、黒画面の時代に逐次処理を書いて出世した人のアシスタントとして雑用を全部させられていたんですよね。

だから、パソコンをお行儀よく使うと簡単なはずの仕事が、お行儀良く使うとは限らない人のためにこれでもかというほどの雑用を押し付けられ、毎晩残業でクタクタになるほど操作と処理の追いかけっこをしていたのに、昔に簡単な処理を書いて出世した人のほうがお給料が高い。いつしか俺はその年功序列の処遇の差と労使関係の差を間違えて、雇用と労働における公平性を訴える左の人と一緒に政治活動に参加するようになったんですよ。

当時の給料は専門学校卒で17万円くらいからスタートだったので、まあ20万くらいにして欲しいと社長にお願いするところから始まったんですよね。それで、20代の後半には25万くらいまで上がって、4年制大学を出た平社員でも月給16万円くらいからと言う人もいて「プログラマーってもらえるんやねぇ」というような話を梅田のお好み焼き屋でギール片手に話したりしていたんですよ。

それで、左の人は当時の自分と同じように一生懸命働いているのに給料が上がらないので声を上げていると思って、一緒に頑張ろうと思っていたんですけど、体を壊してから30代で製品評価のアルバイトが楽だから病み上がりにちょうどいいとすすめられ、時給1000円の人々の働きっぷりがいかなるものか通勤というか見学してきたんですよ。実地検分というか。それで、こんな非生産的で不勉強な輪にいるなら、生活保護を受けながらテレビでも見ている方が有意義な人生になるのではないかと思ったんですね。俺はそういう人々から同一労働同一賃金とスローガンに給料格差を問題にされていたのかと。

はっきり言って、20代は働かない人を見ると「働かないから給料上がんねえんだよお前らももっと働けオラオラ!」って感じだったんですけど、工場の評価って給料が時間制だから雇用者からもらえるまでじっと待ってりゃ得で「働くだけ損」というのが体質に染み付いていて、それは確かに労使関係と賃金の仕組みが本来はバリバリと働ける人とそうでない人の差を埋めるためのものであったのが、制度の都合上で実質的に一定時間でもらえるものと誤解されているところが問題点なんだと分かってきた。

問題は労働者にあるのでなく、雇用者側も生産的な仕事に就く人間とそうでない人間の社会的必要性からの雇用枠を分けていて「出来ないやつは飼っておく」という体制が透けて見える。

それに対してコンピュータシステムのプログラムの組み換えだけでは戦うスキルに本当に成りうるのか、疑問でもある。先日テレビでスマホゲーム「パズドラ」のプロの高校生が出演していたが、プロスポーツの世界はほぼほぼオール・オア・ナッシングだ。そしてコンピュータの原理がハードウェアが同一でなくともソフトウェアは交換可能であることから、競争市場連理を持ち込むとソフトウェアはひとつの製品出来ると2台目以降はソフトウェアのコピーが取られてソフトウェアのシェアだけで見ると独占市場になりやすい。

そうならないのはコピーの防止をハードウェアと法規で取り締まって、ネットワークと物理的なビル管理の二重のセキュリティで機密性が保持されているからという側面が強いけど、そこに二番手のソフトをお金を出してを買うという公平が持ち込まれることは無いのだろうか。

そう考えると、若い頃はイチバンを取れる仕事があったけど、二番手以降に落ちた瞬間から自分で作るものよりイチバンのコピーを取る人のほうが使い手から好評を得ているという現実に目を向けた時に、再びイチバンを目指して努力をするか、既に敷かれているセーフティネットをハンモックにしてこのまま寝てしまうかという選択に悩まされているんですよね。

まあ、いくら優秀なソフトウェアが未来社会において活躍するからと言って、その開発に現在において赤字を出すなら予定を先延ばしにして待つということも仕事になるのかなと。

そう考えると評価に回って保守的な立場を取り、新製品を無闇に作らせないという仕事も分かる。それは何もやっていないように見えて、しっかり仕事をしているのかもな。

話の着地点としては何も見いだせないまま、分量が増えてしまったので今日はココまで。

 


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