怖くて遊べない自分がいることに気付いたんだよね

仕事と趣味が違うのは分かるけど、趣味と遊びがどう違うか。

まだまだ、世間体として大人が遊んではいけないみたいな圧を感じる。

ゲームなんて、という非難に対してプロゲーマー制が出来たけど、そのせいで「じゃあ勝ってくれるのか」みたいな勝ち負けの圧があって、おちおち遊んでいられない。遊んだら負けるから。

子供の時はもっとこう、負けてもへっちゃらで遊べたんだけど、いつからかそのせいですごく弱いとかすごく下手だと思われていることにハッとなって、勝ってみせようとするようになったんだよね。

それはそれで、楽しい。勝つために頭を使うのが遊びに夢中になるのと違って進歩的な要素もあるし、結果がついてくることも嬉しい。

ただ、最近それに疲れちゃって、もうゲームで勝負にさらされるのは勘弁と思う気持ちもある。

ゲームに100円をなかなか出せない。もともとボンちゃん育ちで湯水のように100円を使ってたから、そりゃまあお接待なんかも受けていただろうし、贅沢で楽しかった。けど、その100円は町のお店の人にとってどれほど大きいか。どうしてお店してるのにモノや飲み食いでなくゲームなのかみたいのを比べられると、その申し訳として勝たないとと考えちゃう。

それがゲーセンだと負けて100円払ってもらわないとという意味で勝ちすぎていると怒られるし、いろいろな立場に立つことを想像すると勝っても負けてもゲームをするというのは無駄なことにお金を使っているという意味で板挟みになるんだよな。

もっと上流社会の社交としてのゲームと比べて、遊ばず勝ち過ぎは浅ましいという批判もあるかとは思うんだけど、まだまだ俺の住む町は遊ぶ大人を許さない働かざるもの食うべからずという外圧があるんですよね。経済的にはお金が儲かったら仕事だけど、社会機能としては農業や物流や生産加工という下層の仕事と同義には見做されない。

それが、近頃では勝って見せることでお許しいただいている。対して、元からいた人を排斥するようになってしまっている。

田舎町でパチスロ店が美容室になりゲーセンがクリーニング店になった。まだまだ、社会性が高い街ではない。ゲーセンが喜んで受け入れられるような街ではないのだ。

ただ、俺がJRの駅前のパチンコ店でパチスロに勝った時、その近所の青果店でいちごを買って帰ったら、パチスロ店の中にフレッシュジュースのコーナーが出来て店が果物を買ってジュースにしてミニスカのお姉ちゃんが遊んでいるお客さんに売って回るようになった。

そのあたりにヒントがあると思う。

もともと、大和郡山の特産品に金魚があるので金魚すくいなら遊びとして受け入れられている。そしてパソコンの仕事はお役所がパソコンを買ってくれる。

だけどプレステやゲーセンはまだまだ町と馴染んでいない。ゲームショップが出来たこともあるが、町の人はゲームをするより店員として雇って欲しいというのが先決で売上が伴わず閉店となった。

それでも広い駐車場いっぱいにクルマが停まっているし、住人みなが一戸建てだし、お金それ自体はあるようにも思える。パチンコ店も1店は閉まったが1店は営業が続いている。

そうすると、たんにプレステで遊ぶという行為自体が文化的に受け入れられていないだけで、所得や収入の面からプレステを持つのが分不相応であるという問題ではないかもだ。

単純に町に年寄りが多いからで、コーヒーショップのお孫さんが店のテーブルでゲームボーイアドバンスで遊んでいても誰も咎めないんだが、それが3世代くらい前のゲーム機であると判別できるのが自分だけというのがどこか寂しい。

少なくとも、勝つために挑戦して、見事勝利をおさめることでゲームをする時間を持つこと自体は許されており、そこに負けるだけの余裕が持てないというのはまだ贅沢だろう。

商売として実利を考えた時に負けて客を引くことがゲームを活性化させて将来的な顧客を増やすという論理は、つまるところ遊ぶやつが増えるという結論になるので、ゲームショップやゲーセンが出来ても町が良くならなかったという経験から、喜ばれるものではない。

やはり、勝ち続けて遊ぶ人を参らせて遊ぶやつを減らす仕事のほうがゲーム業界にとってはマイナスでも社会利益としてはプラスになるのかもしれない。子供の遊びは学びの一環として許されているんだけどさ。

人が遊べる社会というのが貴族制と奴隷制によって労苦から免れた上流階級だけが遊んでいるという世界観では貴族に遊びをやめさせて奴隷の仕事を減らすか自由にしろという意見が出てくる。対して、民主主義で中産階級が増えた時に中産階級の遊びとしてゲームがあってもいいように思えるのだが、中産階級はさらなる利得のために政治参加するので、遊びに関しても何らかの実利がないと興味を示さない。

ブログの1記事で結論を出してしまわずに、ゲームと社会の関わりをもうちょっと考えたい。


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