物書きというのはゆっくりした時間が与えられてはじめて出来る仕事かなと

月並みな表現をすると「事実は小説より奇なり」というのがある。

これはミステリーなどの犯罪トリックのようなものを指して「それより現実は複雑」という意味に捉えられることが多いのだが「田舎の大座敷で家族親戚20人集まって宴会をした」というような時に、ひとりの観察者の目線で状況把握をして正確にひとりひとり何をしたか記すのは困難というふうにも捉えられる。都会の雑踏にしてもそうだろう。

俺はもともと会社員で毎日朝起きて出社してたまに遅刻して、会社で週の半分は弁当で半分は外食で、昼飯の後には部長のいないところで昼寝をして、部長がうるさい時にはプログラムを頭で考えるのをやめてなにか手を動かしていた。プログラミングは大半、頭で考えて小さいコードで有効な処理を書くものだと当時は考えていたので、充分に考える時間が与えられるべきでとにかく手を動かせという感じの管理の仕方は嫌いだった。

そうして、3年ほど勤めたところで貯金ができてマンションに引っ越した。会社から徒歩5分の立地である。それでもう会社に骨を埋めるくらいの心構えで終電を気にしないで残業できる、仕事に没頭できると考えていた。実家にはおもちゃがいっぱいあって、片付けるのを放棄して無責任に引っ越して新天地で暮らすつもりでもあった。

しかし、マンションは欠陥がけっこうあった。まがいなりにも構造解析という建築業界の一端を担う仕事をしているものが自分の住むマンションの欠陥も知らずに引っ越してきたとなると評判が落ちるのも無理はない。確かにパースで見ると良い建物なのだが、共用の水道が風呂に入ったりシャワーを浴びる時に別の部屋と一斉にお湯を出すと出力が足らず冷たい水が出る。

さらには土地柄で共産党公明党の激戦区となっており、マンションに来る聖教新聞の押し売りに負けて創価学会に入信させられた。俺はその時の自覚としては普通の家の子だったのだが、名字は宮澤でいちおう宮家の血筋を継いでいる。宮家が神道でなく仏教に改宗するのかという冗談みたいな話だった。もちろん、勧誘した側も既に宗教は形骸化しており自覚はなさそうだった。折伏すると功徳が出ると信じているかも知れないが。

それからの2年ほどはまさに混沌であった。会社を転勤になり、せっかく決めた徒歩5分のマンションなのに大阪に住んでいるなら通勤圏が広がりますねと市内の様々なところに配置転換を繰り返され、そのたびに新しい仕事と人間関係の移り変わりに目を回し、さらに仕事が終わって家に帰ると創価学会の人が上がり込んできたりする。結果、倒れた。

それから既に15年が経つわけだが、今思い出してもあの頃の目まぐるしさを順序立てて正確に記すのは困難なのである。振り返ったら何だったんだろう、いったい何に巻き込まれたのか。分からない。

それでも、人にものを話して分かってもらいたいと思うから、思い出して整理して書き直すのだ。わけのわからないことを書いてきたのはそのためだ。だが、時が経てば記憶は整理もされるが風化もする。物書きというのはヒトコトに言えるものではなく、色々のタイプがいようかとは思うが、基本的に毎日文筆できるだけ落ち着いた生活だろう。

つまり文筆家の手による世界から読書を通してした追体験からくる世界理解では、到底伺いしれない雑然と混沌とした体験の数年間であったのだ。おっとりした性格が忙しく引っ掻き回され目が回って家財道具を一式ガラクタと入れ替えられたくらいの話ではあるが。

到底、俺の語る理由など関係がない。貧しい人が半ば強引にこちらが損な交換を持ちかけてきたのだが、裕福な育ちなので損得に鈍感でその損な交換もボランティアのように人助けになっているとほのぼのと受け入れたという何とも分かると恥ずかしい間の抜けた話なのだ。

人助けをしたのでなく、そこまで困ってはない人に困った顔をされて騙されたということだ。

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