「何を考えているんだ!」と怒る人がいるもんだから

「手を動かせ」という上司がプログラミングの作業において邪魔であることは書いた。

ただ、世の中には自発的に考える人でなく見よう見まねで考えている人と同じ所作をする人というのがいて、まあ根本的には使えない人を見抜けないで見た目で採用してくる人事が悪いのだ。

人の多い現場では考えてプログラムを書く人がいると、誰かが書いたプログラムをそのまま真似して、その時点だけを捕まえると後から書いたほうが犯人なのだが、管理職が日報で現場を見ていると同じ日に同じ仕事をしたことにすればやり過ごせるので順序より退勤時間が遅いほうが頭を使わないで真似るだけでよく残業手当も付いて得という考えも分かる。

それで、原本であるプログラムを書く人というのは手を動かさないで考えている時間があり「仕事をしろ!」などといわれ「今考えているんです」と返すと「何を考えているんだ!」と怒られたりするので、俺も考え事をする時にタイピングで文字を打つ癖をつけてプログラムでなく駄文を書き続けているのだが、これがなかなか会社の管理職級の人間には読まれない。

結局の所、プログラミングの原本がひとつで良いのなら工場のように人を並べてライン生産するのでなく研究職に充分な時間を与えるほうが望ましいのではないかと過去には提言して、そしてそれはある程度世の中に実現してきているのだが、今度は研究者の増えすぎが社会問題になっているようだ。

研究と呼ぶからには先進性が必要で、そのためには既存のものを知らないとどこがどう新しくなったか分からない。企業に入って自社製品を学ぶのと大学の研究室で論文を読むのと場所と名前は違うのだが、やっていることとしては非常に似ている。

だから、会社で先端開発の仕事をしようと思うとまず読みたいわけだ。俺は新米の頃はとにかく手を動かせとよく怒られて「読んでいるんです!」と逆ギレして「読むのが仕事なのか?」とまた怒られながらも自分の意志で新規性のあることをしようという意志があった。

それはまさか新米がそういう大事な部分を自らの意思で受け持っているとは到底考えられず、ただサボってぼっとしているのと見分けが付かないことに対する理解が無かったからだが、人を雇うということが「考える」という有意な時間を得るために雑用を押し付けるためのものという考え方もあって、だから仕事を頼んだ相手が「考えている」などというと、考えるのは自分にしたいと管理職や経営者が腹を立てるという筋も分からなくはない。

まあ、若い頃に身に受けた不満だけどぶっちゃけても仕方がないので、理想を書いておくとプログラマというのは図書館のようなところにノートパソコンを置いて読みたいだけ本を読める環境のほうが生産性が高いのではないかと考えている。会社の資料室でも本棚でも、圧倒的にインプットの分量が少ない。ただし、インプットをそのままアウトプットに回すと本をスキャナで取っているのと変わらない。そう考えるとその環境は生産性があるのではなく課題解決をしているだけになる。答えが既にある問題にソリューションを適用するだけだ。

ではそうではない未解決問題に対する解法を導く能力とは、と考えると現場での叩き上げで鍛えられた本も読ましてもらえずに唸って考える時間を多く持ったことが自分で思っている以上に役に立っているのかも知れない。この部分の成否判断だけは誰かと比べないと分からない。

それは仕事の分配を決める時点で考え始める前に難題であると分かりきっている部分を外注に回して社内で手順が分かりきっている箇所を片付け、責任問題に発展した時に難題を受け持っている人を切り捨てることで社内を治めて課題それ自体は次の企画まで先に伸ばすという大方針にハメられているに過ぎないのかも知れないが。

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