久々に図書館に行った

バックトューザフューチャー2のネタバレになるが老人ビフは主人公マーティの相談役博士ドクがタイムマシンを発明したことを知り、マーティが未来のスポーツ年鑑を過去に持って帰れば賭けに勝てると言うとドクにそんなことにタイムマシンを使うなと怒られるのを盗み聞きしてタクシーでマーティとドクの乗るタイムマシンデロリアンの後をつけ、二人が居ないスキにタイムマシンを操って過去に行く。後にマーティとドクの二人は自分たちの生まれ育った現代に帰ると世界の様子が変わっていた、その時は既にビフが過去の自分に年鑑を渡し大金を手に入れてひとつの街を支配している世界だった。

それはさておき、俺は18歳で大学に落ち、19歳でゲーセンバイトを地元大和郡山と大阪日本橋で掛け持ちし、20歳で専門学校に復学して、22歳から大阪で働いていた。当時の月給は17万円だったが30歳で30万くらいもらっていて、その話を周りについ自慢話として漏らしてしまった。一度目標の大学に落ちていて、フリーター時代に大学生になった元同級生からさんざバカにされたので、せめて給料が多くなったことでも自慢しようと躍起になって働いた。

しかしその話は尊敬されたようなことではなく、大学に落ちたら高卒16万大卒22万の下の方の世界で生きるしか無いと信じていた人々に大学に落ちてもパソコンを持てば何か30万円貰える仕事があるらしいという噂話になった。

俺はすぐさま人にそのことを話すのをやめ、噂は一旦引いたのだが、ではなぜ30万円もらえているかというとコンピュータの勉強をして企業システムを自在に改変出来るから、その報酬として給料を受け取っていたのである。業種は問わず建築でも医療でも金融でも社内システムがある。特に金融のシステムを任された時は緊張で夜も眠れなくなり、体を壊して逃げるように去った。

それで現状はSOHOつまり自宅仕事なのだが、町の人に古い噂を聞きつけて、俺が何かを発明する博士のような人らしい、だから後をつけて本屋や図書館で手にする情報を先回りして奪いたいみたいな誤解か、もしくは企業からスパイが来ているか、あるいはお医者さんの言うように俺の被害妄想なのか、とかく後をつけられている、しかも露骨に後をつけてきた人を俺が不審がって警察に通報して職務質問してもらった過去もあるので、デートのふりとか観光のフリをしながらそれとなく本屋や図書館に行くときそっとそばに着くように囲うように移動しているのだが、観光収入も大して無くバスもガラガラの田舎町でそんなに本屋や図書館でバッタリ誰かに出くわす機会が頻繁に訪れるのはどう考えても怪しいのだ。

そして今日も図書館の裏口にひとりで着いたら別の車が着いて、図書館の中で目的の本までぐるぐると館内でつけてきてから一歩先に入った追手を巻いて本を読んだのだが、その本をまた館内の老人や子供が覗きに来る。情報理論の本だ。

以前はネットでプログラムなどを自慢すると「そのプログラムは1970年台に既に原型があって」などと自慢してマウントする人が必ず現れて鬱陶しかったが、こんな田舎町で取り囲むようにスパイされる感じがするのはどうやら俺が作るものが目新しくなってきたからだろう。

先に行っておくと、していることはただの勉強である。1970年台にフォン・ノイマンがコンピュータを発明するが、その前に1930年代くらいからあったものといえばNOT回路くらいのものだろう。それでもNOT回路ひとつから想像を膨らまし数学研究をした人が残したものとは何だったのか。老人がお城やお寺を巡りたがるのと同じように俺もコンピュータの歴史をもうちょっと知りたいくらいのことなのだ。

だいたい、図書館のコンピュータ書籍の本棚は左が古く右が新しい。俺が手に取る本はいちばん右上の棚に集中している。背の高さがあるので自然と高いところから探すのも司書さんが知っている。そして以前はなかった「はじめてのC」が中央の一番下の棚にある。子供の目線も考えると、そこから始めるほうが良いような気はしている。

お金がつきまとうから付きまとわれるのであればと、最近お金は食費以外使っていない。会社との取引もやめた。ただ、自分のパソコンでブログは書くしツイッターは見るしゲームを作ることもある。そしてテレビの買い換えとゲーム機の買い替えは考えることがあるが、昔に買ったゲームでも封も切らないまま積んでいるものもあり、勿体無いから買わない。面白そうだから買わないと勿体無いという見方もある。そういうTRUE/FALSEの論理値が幾重にも膨れ上がって、近頃は人間死んだら天国にも地獄にも何も持っていけないみたいな話つまり宗教的価値観のすべてに矛盾を感じ始めている。

また、したいことが見つかるまで静かに蓄えたいので、図書館にも行くとは思う。計算とはひとつの解を求めることであるというような価値観だから、その答えだけを盗み取れば自分も同じであるとか自分が先になるという風に考えて後をつけて先回ったり奪ったり盗んだりを企むのであろう。そうでなく、俺が今考えていることはそもそも計算とは何であるかということだ。数なら数え上げられるが、論理回路を考えるとき、何を0と1に捉えるかは主観による自由であり、他人を変えるのにコンピュータは使えないと思っているが、自分を変えるのに論理は役に立っている。少なくとも、どこかで0と1をひっくり返して答えを逆さまにされることはあっても人に正しい筋道を説くことくらいはコンピュータでも出来るのではなかろうか。

マーティとドクからビフがスポーツ年鑑とタイムマシンを盗み、結局取り返して燃やされる映画の示すところはスリルやサプライズにアクションに謎解きではあるが、どこかでモラルを考えさせている。そのモラルがどのくらい正論なのかと考えると、コロナのためでなく人付き合いには対人距離感を取るのが普通だろう。それに対して近頃俺が気持ち悪いのは遠くから見て一目惚れした相手に犬の散歩のフリをして犬をけしかけて近寄ろうとするような回りくどさかもしれない。

俺が図書館を好むのは人と付き合わないで本を読めるからだ。空いているからと言っても良い。しかしそれは国立なり市立なりの施設の占有であって、税金の使いみちの受け皿になる利得行為である。それを他の市民が同じように受け取りに来るというのは咎められない。本屋で本を買って家で読めば済む話といえばそれまでなのだが。スパイされても実害は無いから。


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