自分のデッキを広い場所に並べて眺めてみた。
俺は基本セット2010の「予言」や「棍棒のトロール」が結構好きなのだが「荒廃稲妻」や「朽ちゆくヒル」といったアラーラの断片セットのカードのコスパが良すぎて、同じデッキに違う世代のカードを入れていることに対する何とも言えない感情と向き合っている。
そんなに難しい話ではないかもしれない。ある疑似カードを使ったモンテカルロ法でのMTG研究は同じようなマナカーブのクリーチャーデッキでの並べ合いは引き分けになるという。厳密には山札を引ききったら負けなので後手の負けになるだろう。
また、前にも書いたが稲妻に類するカードばかりのデッキなら数ターンで決着する。
さらに、クリーチャーデッキの土地が21枚以上で1枚火の玉を忍ばせると勝つだろう。
つまり、ゲームとして公平なルールで遊ぶとすぐに勝ったり負けたりになるか引き分けるかのつまらない代物なのだが、まずどんなカードがプールに含まれているか知らないで買って明かしてゆくからその間に体験があって、楽しいのだ。
新しいセットに適応することに躍起になって追いかけると本質が見えないが、じっくり考えるとカードのマナコストと効果のコスパの良いもので、さらにコスパの良い中でも軽量のものをより集め、そして並べ合いになって凡庸に引き分けを狙えたら、数枚のエンドカードを加える。
ただ、ゲームの勝ちばかりを求めて好きなカードを自分のデッキから抜く時期が来たら、それはプロへの階段を昇るか趣味としての楽しみを取るかの分岐点に来ているということだろう。
好みというのは対象と付き合う時間の長さで変化するから、このデッキをさらにもう1歩強く出来るなら、それを持って一緒に過ごす時間を経過することで好きになるかも知れない。
「朽ちゆくヒル」なんかは最初は嫌いだった。絵の問題と、ゲームバランスを壊しすぎていると考えたからだ。しかし、持ち物として付き合っていると慣れた。
傍目八目で人のデッキを診断するといつも強く出来て、喜ばれたりするのだが、ことが自分のデッキになると勝ち負け以上に自分の思い描いたゲームがしたいと思ってしまう。
まあ、今デッキから抜くとしたら「予言」と「棍棒のトロール」かなという気はする。確かに予言はカードアドバンテージになるし、棍棒のトロールの再生も回ると強いのだが、両者は共に遅効性なので、そもそも待ってもらって勝てるゲームを盤石にする効果はあるが、それ止まりなのだ。そう言うと「隊商の随員」なんかも待ってもらえたら勝てるのはそうだから、単体カードパワーの組み合わせでもデッキがどこかちぐはぐになっているのだろう。
レベルアップを並べて、レベルアップに除去を使われて予言で引きましてまた引いてきたものがレベルアップではそのマナを何か直接的に効果のあることにつぎ込み続けていたらとっくに勝っていないかと。純粋なゲームの勝ち負けの研究は他愛のない結論で終わる部分もあるが、よりゲームを深く楽しむために、自分のやりたい事をもっと上手くやるための研究は楽しい。
遊びで何の得にもならないことだから、誰に気兼ねなく打ち込めて外から文句も出ない。
暇つぶしとして、ネットを見てもテレビを見てもプレステのソフトを眺めても何かこうハマれない時にマジックザギャザリングのデッキをいじりだすとドハマリするのだよな。
OUT: 隊商の随員1天望の騎士1裂け目の稲妻1
IN: 組み直しの骸骨1野生語りのガラク1洞窟のソクター1
棍棒のトロールや予言を抜いて速攻に持っていくと結局はウィニーバーンになるので、それよか俺が普通だと思うマジックザギャザリングのゲームメイクを楽しみたいのでファットシフトした。ウィニーのレベルアップパンプアップが被ると重すぎるのでいっそファッティを入れて、焼きによるコントロールより組み直しの骸骨で粘れる感じにしてみた。
普通のマナカーブのデッキになったが、普通が普通になるのに混沌から論理が生まれ対決と議論を繰り返してその後に普通が生まれるわけで、研究と称して尖ったことを試みてから、色々と総合して普通と同じところに落ち着いたというのは何かこう足場がますますしっかりした感じ。