水性ボールペンで勉強が捗るようになった

中学理科の本から特に化学反応式の出てくる部分を抜粋して計算用紙に書き出しクリアファイルに綴る。高校の時に苦手だった化学だが、その原因は書き取りをサボって本を眺めて黙読する覚え方では化学反応式が記憶に定着せず、自分のことを暗記科目は苦手だと思っていた。

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しかしまあ、小学校の時から覚えるのが苦手なものは音読しながら紙に何度も書くのが覚え方だというのは知っていた。知っていても行動に移さなければ知っている値打ちはない。

専門学校の頃から油性のボールペンで勉強することが多かった。鉛筆が擦れて手の小指側が黒くなって字が薄まるのが嫌いでボールペンを選んでいたが、筆圧が要るので肩がこる。

水性のボールペンを選んだのは先日100均で6色セット100円と安かったから買ったものの内で青と紫がキレイで黄色と緑は白地には見づらく、赤と橙は先生の修正みたいで控えている。

テレビで東大とハーバード両方受かったモーリーさんが私物で使っているものがそういえばノートと水性のボールペンだった。サラサラとした書き味が好きでずっと愛用しているとか。

確かに、使ってみて水性というか商品名はゲルインクボールペンなのだが、書き味がサラサラとして疲れないで筆記が進む。化学反応式の書き取りはすぐに計算用紙5枚分となった。

あとソロバンの使いみちも何か無いかと考えていて、大抵いままで計算の必要な用事は電卓やエクセルで片付けてきたので、子供の発育とか成長のために人気のソロバンを今俺が使ってなんの発育になるというとボケ防止、ゲーム上達などが挙がるが、まあ中学高校の頃に取りこぼした科目の復習ということで応仁の乱の1467年というのを元号が応仁になったのが1467年3月5日ということで、いっそ8桁分のソロバンを使って覚えたい年号を順に8桁で弾いてみたりしてみた。筆記で年号を覚えようとしても、数字は算数や数学に理科でも使いまくるので、単に年号と出来事を結びつけようとしてもなかなか記憶に残らない。しかしまあ、ソロバンはまだ始めたてで数字と玉の結びつきが弱く、元号を弾いてその並びを見ると記憶にどんどん入っていく感覚がある。

もともと、マジックザギャザリングのカードや格闘ゲームの対戦の勝負の成り行きなど自分の好きなことでは膨大に覚えていることがあるので記憶力が悪いのではないとは思う。

そうして、いつも思い出すのはバーチャファイター5でラウを使って2対2の5ラウンド目にもつれてあと一撃というところでこちらが守勢に回ったら相手のジャッキがーニーストライク、横転して起き蹴りは出さずに立ち上がったらまたニーストライク、そしてもう一度起き上がりに待ったらニーストライクで逆転されたときのことを思い出すんだけど、あの時ああしておけばというのは起き蹴りを出せばという発想はなく、起き蹴り誘いだと思って食らっているので蹴りを出さずに起き上がってしゃがみパンチで勝ったかもなと思い返すことはあったけど、そうでなく蹴らずに起き上がって投げ抜け入れてれば即勝ちではないけど試合続行だったなと考えるようになったんだ。これ勉強のせいではなくサターンでバーチャファイター2を久しぶりに遊んだせいだとは思うんだけど、ゲームばっかりしてるとあの時もうちょっと勉強してればと思うこともあって集中できない時があるので、勉強して、自分で勉強に納得がいくとまたゲームの場面の続きをじっくり考えたりして、いい結果になったりする。

ただまあ、もうラウであのジャッキーとやって5ラウンド目にもつれてあと1発って場面に出くわすことは無いとは思うんだけどね。あの時ああしていればは何かを決断してから、失敗して、その決断の前に巻き戻れたらという考え方で、あまりにそういう思考の癖が付くと何事に関しても決めかねてしまう。そして優柔不断になり、その性格を自分であらためようとした結果、外へあまり出ず家でゲーム機でひとりで遊ぶ今の生活様式に落ち着いたわけだ。

あのときしゃがみパンチか起き蹴りでもし勝っていたら、反対にどうなっただろう。ゲーセンが盛り上がっていて、俺が全部やっつけた後に残った最後の2人でのタイマンだった。負けていたから続けているのだろうか。ヴァンパイアハンターの時は勝って相手がいないゲーセンでひとり用を遊んで、わざわざ他のゲーセンに対戦相手を探して回った。

アメリカまでゲームの大会に行って、日本に帰ってきたら雑誌の書き方ひとつ気に食わなかったけど、もし書き方が良くても表紙とか巻頭カラーでなく白黒のおまけ記事欄に載った程度で日本で有名になったわけではない。向こうではテレビ局まで来てくれたのに、だ。

だからといって、こんなお粗末なブログ記事をたくさん書いて自分で「こんなに頑張った」みたいなことを言っても、そのやりようがメディアで働く人の手でもっと上手く映像化されて他人の話になってしまっているだけで、むしろこちらは恥を晒すだけになる。

だいたい、勉強を悔いたのは仕事が上手く行ってお金が余ったときだった。仕事が上手く行って、お金も回ってきて、さあ自分の時間に何をするとなった時に友達として付き合っていた誰よりもお金があったので、たかられてゴチるばかりでもっとお金持ちとか高学歴とか上流社会の付き合いに入っていきたいと思って、そこで仕事の意味でなく社交の意味での学歴差別が残っているように感じて、本を読んだら嫌味のようなことが書かれていた。

東大医学部和田先生の本には「東大生の真価は東大の授業が良いことではなく激しい受験競争に打ち勝つ中で蓄えられた学力である。これからは学歴社会でなく学力社会だ」とあって、東大工学部畑村先生の本には「失敗は成功の母。失敗から学びなさい」と大成功の時に釘を差された気分だった。今は学力社会というよりは年金や家賃などの国家権力のような集中型の権力でなく、民主主義の中で広く中流階級が蓄財して手続きを踏んで得た権利の総体が若者を苦しめる社会で、実力で勝とうとするより親や祖父母に甘えたほうが効率がいいみたいなところで応仁の乱の話が出るのは源平では知られすぎていて暗号にならないところに700年後の1467年にも同じような歴史の再現があることを暗に示そうとしている。勝元と持豊が戦って勝元が勝つんだよな。「失敗は成功の母」は「勤勉は成功の母」から派生した語。

東大本を書いていた和田先生は新刊を出して「お金で時間は買える。寿司を食ってタクシーに乗れ」とか言い出すし、失敗学の畑村先生は出版社の要望で「創造学のすすめ」を書いた。

それから京大芸人の宇治原がデビューして、また時間が経つと予備校教師の林先生とかクイズ王伊沢とか出てきて、モーリーさんが情報番組のレギュラーになった。俺は19の頃に誰かにモーリーさんの話を聞いたがその時は意味がわからず、テレビの再現VTRとか残っていたフィルムでモーリーさんの20代を見せてもらって、それからようやく自分に周囲がどんな目を向けていたか少し分かった気がした。

俺は金持ちに憧れていたが、世の中には借金をしてでも贅沢をして破産する人もいる。しかし破産しても死ぬわけでもないので、やらずに後悔よりはやって後悔の意味で波乱万丈に生きるほうが振り返ったら楽しい人生なのかもしれない。ずっと部屋にこもってテレビ見たりゲームしたりブログ書いたりして、メシは店屋物ばかりとかね。いや最近の店屋物はだんだん旨くなってきてそれが楽しみではあったりするんだけどさ。

 

水性ボールペンが書き味サラサラで心地よいなら、キーボードで文字打つのはもっとサラサラで心地が良すぎる。ブログを書くだけでもうそれは快感だったりするのよね。


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