バーチャファイター2マニアックスの養老孟司をいまさら読む!

ジョン・レノンのイマジンの歌い出しはイマジンゼライズノーヘブン(天国なんて無いと想像してごらん)ノーヘルビロウアス(もう僕たちの下には地獄なんて無いよ)と始まるのであるが、これって結構に哲学的な問題で、養老孟司が「善と悪などはその言葉の存在や肯定が矛盾する他方と対になって成立するもの」ということと同じだと思うんだ。

ゲームがあって、攻略本がある。その攻略本のライターが対コンピュータでなく通信対戦の人間対人間について考え始め、やがて人間科学に触れ解剖学の権威である養老孟司に半ば強引なインタビュー記事を依頼して「週刊ファミコンか何か知らないけど、それはあなた達の仕事でしょ!」と怒られても食らいつき、ゲームと人間とさらには対戦相手との関係を解こうとし始めたところでバーチャファイター2マニアックスは締めくくりとなる。

バーチャファイター2マニアックスは1995年に書かれた本で、俺がブログを始めたのが1999年。そして今は2020年なわけだが、2018年頃に掲示板でバーチャ2の稼働期に件の本を読んだか読んでないかが議論以前の前提として分岐点になっている。そこを理解してから議題に乗っていないものは先に読んだほうが良い。という旨の書き込みがあり、今から取り寄せて読んでみると週刊ファミ通や月刊ゲーメストで断片的に読んできた各種の「人間ありき」の攻略のプロセスが図解に写真に文章で全て語られていた。

そうして、過去をおさらいするとバーチャ4で三段くらいになった時に既にバーチャファイター2マニアックス程度のゲーム攻略は全て把握していたし、さらにPS2で覇王になる頃にはDOJOモードで当時の家庭用スタッフが知りうる限りのテクニックを実技指導のプログラムで伝えてもらった後だった。

本は今更な内容が9割であったが、1995年にこれが書かれていたことを考えると、自分がアペンド出来る内容というのは本当に10ページにも満たないのではないかと思えたし、養老孟司のインタビュー記事が「なんか偉いらしい人に聞いてきた」というおふざけでなく「分かる話」として読めた。ファミコン雑誌でも末端のライターは若者であるが、編集者の中にはオッサンもいることだろう。それ相応に学識を持った大人が若い人の知的好奇心を満たすべく、テレビゲームの攻略を釣り餌に少しづつ知見を散りばめて読み応えのある内容に編纂しているのだ。

というか、ゲーメストを読んできた俺がファミ通の出版社はここまで書いていたかと思い知らされる内容であったし、良書との出会いというのがどれほどのものか分かった気がした。

俺はどちらかというと乱読家でテレビや雑誌メディアなどで顔写真付きで出てくる本当は裏方ではないけど裏方キャラの人に無形のあこがれを抱き「その本つまらないよ」と言われても「あの人が読んだ本だから」というような本の探し方をしていて、結構に無駄な本を読んできたつもりだ。しかしその俺がゲーム攻略という無駄なことに人生を燃やして、自分たちの言葉が1冊に詰まったずっしりとした本を自分の本棚に入れるという体験をした時に本というものにそれまで以上に特別なものを感じて、お金があるからと言って読みもしない雑誌を取ってペラペラめくって部屋の隅に置くというのでなく、もっと部屋にある数々の本と1冊じっくり向かい合うべきではないかと今は思っている。


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