存在しない「みんな」のことが好きだった

小田和正の「伝えたいことがあるんだ」の歌い出しは

伝えたいことがあるんだ 君のことが好きだから 

であるが、俺がブログを書くのは何なのか。

誰に書いてんの?と思うと、よく知る人に全て嫌気が差していて居もしない誰かを目掛けて書いているとしか言いようがない。読者、後世の人、検索してくる人、天の神様、などなど。

そしてそれは、俺の実生活において触れ合う人々には大して届いていないように感じるのだが、こと文筆業界というか物書き界隈には案外届いているのか、直接メールとかコメントしてくるのは変な人なのであるが、どこか別の人の文章を読みに行くと自分が書いたこととそれに対する答えのようなものが書かれていて、自分とのつながりがあるかと言われると偶然かもしれないのだが、確かめるべくでもなく、俺が求めていたものは返っていているというか。

最近、人狼ゲームのルールを覚えて、人狼は人間社会のルールを上手く捉えた簡単なルールで複雑なプレイヤーアクト(ありていにいうと「演技」)を要求するすごいゲームだと感心している。遊んだことはない。ロールプレイングゲームというが、人狼のロールプレイは騙す魔物なので、これ下手なロープレゲームの作者が作るやられ役の怪物より面白いと思う。けど、安易にゲームの誘いに乗って夢中で演じてしまうと「そういう人」というリーディングを食らうので、結構コールドプレイでは怖いゲームという感じもするよな。

それと、20代で仕事が上手く言ってる時に著者の経歴に東大卒とある本ばかり集めて読む変な趣味があったのだが、その様を書店業界あるいは出版業界のレジとかポイントカードからホットリーディングされたか、俺を狙った本と俺が思ってしまうような本がたくさん出た。いや、全国部数はそんなに多くないのかもだが行きつけの本屋にどっさり並んでいた。

ちょっと知らない街に行ってみて本屋を覗くとラインナップが全然違って、あれは俺を苦しめていた結界術のようなものだと今では思うのだが、簡単に言って「受験勉強が足りない!」ということを上から言われて、痛いところを突かれたなと高校の勉強をやり直してみて、わからない部分って中学校から、社会科に至っては小学校から足りていないと分かった。

そうして中学古文あたりを復習しようと参考書を買ってきて、もう7年経つ。受験というのは基本的に18年のタムリミットを背負っているものだから、その成否の問題だと今では思う。そして本を読むのと勉強とはちょっと違って、本というのは多種多様で娯楽者から参考書に実用書に学芸に学術と用途が分かれていて、東大卒でも執筆者としてまた本の企画や意図が自分の目的に沿うものでなければ読み進めるのが辛いし、辛い本を頑張って読むのと面白くない教科書を何とか頭に詰め込もうとするのではこれもまた少し違って、勉強とは書き写して読み上げて記憶に残して試験を乗り越えるために一定の考え方と記憶を準備するためのもの。

それで今、俺は百人一首を覚えようと取り組んでいて「ちはやぶる」というと「からくれないの」と返すのが百人一首の中では正解なのだが、受験というのも出題範囲と指導要綱があって、受験の中ではそれが正解という枠組みの中に臨んで受け入れてハマっていく行為なのだ。

ノンスタイル陣内智則とロザンのどれが面白いか、というのは人によるが、京大芸人とか東大卒プロゲーマとかいうのも、そういうのが楽しいと思う視聴者や読者がいるから企画出版や録画放送された新ジャンルであって、まあそろそろ新ジャンルというのには時間が経っているかもだが、俺にとってはそういう「見たいと思うもの」だったんだ。

あ、今日のカプエス2はAガイル・キム・リョウな。ノーマルボスエンディング。