まあ普通の感覚を否定しないことが最近の取り組み

MTGの研究でも理想は勝率を最大化すること、優勝すること。

スイスドロートーナメントにおいて最大勝率が優勝になるのでこれは重なる。

まあ、8回戦「7勝1敗が3回」と「8戦全勝と6勝2敗が2回」のようなブレはあるかも。

そう考えると、というかそれでカルドセプトも何度も優勝しているけど、ポイントレースは2位3位でももらえるポイントで試合数を重ねると総合点が高くなるので耐久レースと化して、持久力で負けた部分もあるよな。実力とは何かみたいな話になった時、目標のためには持久力がいるとなると潔く負けを認めることも必要だ。取り組み方から違うわけで。

それでまあ、こと私怨とも言えるような出来事の経験があって、早すぎたというかMTGの大会で1000人中ベスト8くらいで得心したときにもっと上を目指すより、同世代の友達がもう飽きて辞めていたので近所の子供や中高生に普及させたいと思って、ショップで負けてあげていたこともあるんですよね。それで俺の大会での戦績とか近所の人は知らないもんだから「簡単な子供向けのゲームで子供にも負けている」みたいな噂が主婦の間で立って、それが自身の耳に入ってきたことがあって。ただ、(その時はまだ家にいた)母親からは弟の同級生のお母さんから「カードゲーム教えてもらって良くしてもらっているって聞いてます」みたいなお礼も間接的に届いたんだけど、うちの母親もよく嘘を付くので作り話かも知れないし、俺に届いた近所の主婦の言葉はとても否定的だったんですよ。

だから、カルドセプトなら「ファイターよりニンジャのほうが先制付いてて強い」みたいな子供でも分かる当たり前でなく「ニンジャも強いけどファイターのほうがコストが40G安い」というようなことにも直目してほしいなと少しひねくれた見方をしてきたんですよね。

それが余計に難解な論理展開の原因になって、分からないから排斥して済ませるみたいな悪循環を生んでいたように振り返るんですよね。「ニンジャ強いよね」から「やっぱレアカード持ってるやつの勝ち」で意見を一致させれば波風立たなかったとも思うんですよ。

そういう意味で、MTGもマナカーブとか確率分布とかワケ分かんないこと言わなくてもカードいっぱい買って、誰が見ても強いと思うようなお手頃なコスパのカード入れて、飛行クリーチャーさえ入っていないようなコモンデッキに「アーナムジン」とか「大気の精霊」出して勝っていればそっちのほうが強くみえるというか。

そのへんのイメージにも気を使うと、また戦い方も変わってきて、ひねくれすぎて変な負け方するよりは、みんなが強いと思う多数決で決まったようなカードで戦って、それでトッププロにひねくれた戦い方で負けて「ああ、上には上がいるもんだ」と思ってもらえる構図の中でベスト8くらいの立ち位置をきっちり守るほうが自分が一番上に立ってその勝ち方を広めるみたいのより上手くいくと分かるようになったんですよ。

そこまで踏まえて、もういちどカードゲームに取り組んでみようとしています。俺んちの近所にMTGが根付くことは無かったけど、ちょっと離れた市街地では反対にショップが出来ていて、それはちょうど俺んちから一番近いパチンコ屋が俺が出しすぎて閉店したように俺んちから一番近いキューピー堂も二番目に近いジョーカーもトレカ辞めたの俺のせいみたいな気持ちもちょっとあって。隣町のショップもひとつ潰れちゃって、電車で20分くらいの店のおじいさんからは「ミヤザワくん、分かるやろ、もう来たらアカンよ」と諭されて。

何というか俺の人付き合いって対面で言葉を交わし合うアメリカ式なんだけど、俺の近所の人のものの話し方って話したい人に友達と二人で寄って自分と友達の話を相手に聞かせるというようなやり方で、そうされるとこちらも話し相手になる友だちがいないと独り言をつぶやくしか言い返し方がない感じなんですよね。

辛いけど、ゲームをもっとしたいとか突き詰めたいという俺のわがままなんですかね。