何事も三日坊主にならないように気をつけているのだが

実は今年の10月4日に百人一首を全部覚えようと始めたんですね。

それが12月7日現在、百人一首からはすっかり離れていまして。

何事も三日坊主にならないようにと1ヶ月くらいはやるんですけど。

手帳を見るとコンピュータ将棋の電竜戦あたりで百人一首日課から外れてますね。

他にはギターの稽古も弾き語りがちょっと出来てからヘビメタ的な速弾きのメカニカルトレーニングとかもいつの間にか辞めてしまったし、ボールペン回しが上手くなりたいというのも熱病のようにマイブームが来て過ぎていった。

その様を尊敬するある人から「アイツなんでも7割くらいまであっという間に身につけてびっくりさせられるんだけど、何故かそこで満足して他のことやりだすんだよな」と言われていたことを人伝に聞きました。

けどまあ、コンピュータ将棋に関しては7割と言わず満足行くところまで来た挑戦のひとつかも。

ところで、どうして百人一首だったかというと、その時はやりたいことなど思いつかなくて無目的に課題設定したんですよね。そして、高校の時古文があったけど今は中学で古文があるらしいんですけど、国語の現代文古文漢文で古文が一番出来なくて、何から手を付けてよいかと考えた時にひとつは和歌かなと思って、結局20首くらいで放ってあるんですけど、センター国語8割位で残り2割を取るために百人一首全部覚えて出題範囲から考えて5点くらいかなという目算が立つと、偏差値60から偏差値70の10点の開きというのは得点率では80点と100店で2割5分ほどの開きだけど、それを獲得するための勉強量の違いってどんくらいなんだろうなってちょっと気が遠くなったんですよね。

それが最近は果てなく遠いミステリアスな感じではなく、距離感は掴めるとでも言うか。

こと俺はゲームとかで「ずるい」ってよく批判されたんですよね。ハメ技を使うとか強いキャラを使うとか作戦がずる賢いという風に。だけど、餓狼伝説2の時に俺はアンディで吉井くんが山田十平衛。リーチの短いキャラで苦戦した吉井くんは餓狼伝説スペシャルで発売すぐに「ダックキングの踊っているように戦うのめっちゃカッコいいよな!」と言って、俺が「そうさな」と言ってダックを取ると、吉井くんはローレンスを使うようになったんですよね。

それで結局アンディ対十兵衛だったのがダック対ローレンスになって、それでも俺の勝ち。いつからか吉井くんは格闘ゲームから離れ、コンボを練習している俺にコツとか裏技を聞きに来て「愚直に練習するだけやで。体でタイミングを覚えるまで繰り返す。1フレームの精度で」とか言うと「ずるい」と言ったんですよね。いや真面目がずるいかよと。

その時に俺は吉井くんが俺にストIIで負けたのはダルシムとバイソンのリーチ差が原因で、餓狼スペシャルで俺にリーチの短いダックキングをカッコいいと思わせて取らせて自分がリーチの長いローレンスを取れば勝てると思ってそう仕向けたのに真面目にやられて負けてずるいと思ったという話になって、俺は反対に吉井くんは何て策士でずるいんだろうと思ったんですよ。

それでも、俺は今になって人からずるいと言われるのは勝って味が良いことと両面あるけど、プラスマイナス両面経験してみると味の良さで負けて肩を持たれるのも勝って嫉妬を買うのも、どちらにつけ国民性的な負けの美学とアメリカかぶれ的な勝ち組の論理と、都合の良い方とでも言うか、得になる方を無意識的に選んで得してきたと今では思うんですよ。人付き合いとして勝ちっぷりが気持ちいい強い人の輪に入っていって、それでいて歳食って負けて帰ってくる頃には嫉妬でなく共感で負けの肩を持たれてフェードアウトしてきたと言うか。

作戦だったわけではないけど、その時々の空気でそうしたほうが良いと思ったほうを取ってきたら、周りからはずる賢さで特になる方に寝返る三国志呂布のような身勝手さだと捉える人もいるんだけど、自分的にはそれはちょっと違うかなと。

百人一首、どこ行った?(忘れたわけではないが話題的にもう巻き戻せない。

まあでも格闘ゲームの話に限っては有利な方をとっても、その取組に面白さとか「好き」がないと練習が辛いだけで、練習がなくても勝てるくらい9:1までキャラ差が開いていても、勝つとなると手順を間違えてはいけないわけで一定の練習は9の側にも必要で、確かにキャラ差で有利な方で勝っているとしてもやらなきゃいけないことはしてきたんですよね。

俺から見たら吉井くんの人生は学生時代から計画的で充分に成功してると思ってるから、時々は連絡して、そしてその策士ぶりを学びたいとも思っていて。

そういう意味では俺には「この人になりたい」みたいなメンターがいるわけではなく、いろいろな触れ合った人のいいとこドリップで出来ていると言うか。いや最近ダメダメですけど。

ダメダメと言うか、他人から見て誰のように見えるみたいな考え方から完全に自分の内的世界を満たす方に舵切りしちゃってるから、廃人とか落語者のように見えてるとは思うけど幸福だったりするんですよね。そしてその世界の満たし方みたいのは完全に吉井くんから学んでる。

百人一首に関しては「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に月はかかりつ」で合ってたかな。詩的な感動がある一首もあるけど、大半は現代人にとっては退屈だと今は思ってます。

よし、着地した!(何が?)GLAYの初期曲「月に祈る」の中に「雲に隠れた夜半の月かな」という歌詞があって、百人一首で「夜半の月かな」を見つけた時に「J-POPの歌詞も和歌がわかると何倍も楽しめる」と言いたいけど、GLAY100曲くらい多分あって、和歌で楽しくなるの1曲だったら1%増しくらいににしか楽しくならないわけで、その点ギターを覚えたらTERU主役のカラオケ大会みたいに見えていたライブがTAKUROやHISASHIのスリリングな演奏にも興味が行って、これは和歌よりギターの方が効果率高いという判断なんだけど、じゃあベースも覚えてJIROちゃんの分さらに25%楽しくなるかと言うとそれは違う気がする。

しまったせっかく着地したのにまた離陸した。離陸状態で終わるのがミヤザワブログの特徴です。ラーメン二郎にJIROをかけてもう一段落書きたいところだけど今日はココまで。

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