大事を取ってブログを1日休んでみました

「するべきこと」みたいに考えると気焦りはあるのですが、腰痛など持病があるので療養のために休むことも大事ではないかと、昨日1日ぼーっとしてみました。会社づとめをしている時に「体調管理も仕事のうち」とか言われると、ほとんど「病気は土日にかかっておいて平日休むな」みたいなパワハラワードとして感じられるのですが、本当に自分のペースで仕事をしている時に無理せず休む決断をするのは案外と勇気がいるもんです。やりたい仕事は特に。

それでカルドセプトDSの攻略本を読んでいたんですよね。自分の言いたいことが、ちょっとやそっとで伝わらないのは、その意見が出てくる過程を共有できている人がいないせいで筋道が長すぎて分からなくなっているとでも言うか。

世の中、小学校から座学で色々と学んでいくと読書と弁論で事を欠いて話をしてしまうことって結構よくあることだと思うんですよね。売り言葉に買い言葉で言い勝てばいいみたいに思っている人でも言論でそれを見破るのには難しい話をするのではなくて、基礎的なことから一歩づつ行けば、やってるかやってないか分かるのかなと。

伝わらないと言うよりは、ゲームをしてそれを通じて何らかのコミュニケーションをしようとしている人でなく、ゲームに言論を持ち込んだせいで、ゲームをしなくても言論で勝てばゲームに勝ったように思われるみたいに思っている人をそれと見抜けず言論の相手に取ってしまっているからかなと。

ただ、自分が何をしたいかと言うと口喧嘩をしていた相手が自分がワクワクするようなゲームに強い人で、自分のキャラや戦術、カードゲームのデッキやブックを持っている楽しい世界観を夢見ていたら、ただハッタリで口喧嘩で勝つことだけを目論んでいる人だったということが残念なのです。

その意味で、それならネットで誰かと論戦みたいなことをしたり長文ブログで自分の作戦をダラダラ書くより、ものを書くようになる前に攻略本を隅から隅まで読んで「なにか自分お知らないことをひとつでも知れたら」みたいな知的な吸収の欲求を全面に出すほうが良かったのかも知れません。

ただ、本を読んで物を言わずゲームもRPGのような読み物系でなくアクションやトレカで遊んでいると、口から言葉を発する機会がないのでそれはそれで辛いことなんですよね。言葉も好きなので。こうしてアウトプットを増やす行為が自分の吸収量つまりインプット量を減らしていて、それで以前よりも詳しくなくなっている部分もあると思うんですよね。

そしていくら頑張ってもコンピュータゲームの世界というのは有限のビットレートで閉じていて、カセットやディスクに入っている以上のものは出てこない。ただし、文字数が決まっている本でも有限の中に文章から人が感じる「含み」のようなものはあるわけで。だから対戦型となっているゲームを研究することで「もっと強い相手」を想像して遊ぶことが、レベル99になった世界を不死鳥ラーミアや飛空艇などで飛び回ってもっと隠しアイテムとかないかと探すような虚しさよりは「いるかも知れない強い相手」という対戦型ゆえの現実とのリンケージに望みを託せる部分が閉じた世界への没入のひとつの助けになっているというか。

まあ、得意なゲームの世界から一歩踏み出して自分の苦手なことでもやってみれば負かしてくれる相手はいくらでも見つかるんでしょうけどね。


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