今日のカルドセプト(直接対決のないもどかしさ)

俺がカルドセプトを本格的にやりこみだしたのは3DS版が出てから。

数年に渡って1人用でカードコンプリートしてからネット対戦に入った。

だからブックは何でもレシピ通りに組めるので理論先行になりやすい。

対して、他所様のブログを見ると内輪であれ、想定敵がいる攻略だ。

だから、どこで攻略をしている人も勝つところでは勝っているのだろう。

俺はと言うとネットでランキング戦で優勝したことはあるという程度。

証拠となるランキングサイト自体が閉鎖になって残っているのはブログだけ。

よそのブログもどこまで本当だかと思って勘ぐるとキリはない。

文中から、正しいと思うところだけ抜き出して咀嚼して研究する。

確かに、エボニーアイドルが刺さるのかも知れない。

あるいはアイドル対策はターンウォールで良いのかも知れない。

ただ、ひとりの人がエボニーアイドルを2枚入れたブックで最強と言っていて。

別の人がアイドル対策はターンウォールがベストと言っていて。

さらに別のところではターンウォールは1〜2枚入れておけば良いとあって。

3人戦乃至4人戦でそれらが当たるとターンウォールは2〜4枚有りうるのだけど、その矛先となるクリーチャーは最強を自負している人のエボニーでなく誰かのシーボンズに飛んでいるかも知れないわけで。

元も子もないことを言うと、3人戦4人戦で勝つにはある種の人気や合意が必要になる。ゲーム中に熱いプレイをして1位を競っている時に3位の人が2位に這い上がるより現状1位を勝たせる行為をした時に「1位の足を引っ張るのが前提となるマナー」という論議がなされることがあるけど、そうすると現金1位がトップでも足を引っ張られるのが必定ならランドドレインを握って2位にいてれば勝てるというような話にもなり得る。

それに相性やメタなども、ある程度の遠慮は存在する。1位を取ることより、アツい駆け引きをしたいと思う人と、ただ目の前の1勝をお題目とする人が居て、そしてブログで自慢をしていたら、それは恐らくその人も誰かしらの相手を負かせて、投稿に至る勝ち試合は架空でなく多分だけどあったんだろうなという心境になったんですよね。

ただ、俺は実名でブログをしていても誰からも挑戦状を叩きつけられることはなく、どこか別のところに「我こそが最強」と名乗りを上げているようで匿名というこのやり取りの気持の行き場の無さが変な気疲れになって、もう何と戦っているのか分からない。

まあカードはコンプリートしているから、お互いにそうなら1回出たとこ勝負して2回目はメタるかコピるかされ得るので、直接対決は出たとこ勝負の1回がとても重要で、以降のイタチごっこにゲームとしての旨味があるかと言うと俺の場合はメタリもコピーも無しで勝負してくれる人とだけ熱くなって競ったという話で、ある種メタり合いとかコピり合いをした人の諦観は正しく、ただ勝率が高いと言ってもコンプリート前の人や初心者を負かしたというのでは物足りない。

それでもこうして間接的な文通による相互のゆるい干渉があるのなら、何か建設的な提言はしておきたい。何をどうやって決めようかと。バルダンダースやスペクターの撒きがイケているということに関しては合意が得られそうだな。ただ、人にインシネレートを辞めろと言うなら俺もエボニーアイドルは辞めて欲しい。なら素のGイールは有りかナシかみたいな。

その意味で壊れカード多数収録の3DS版よりDS版のほうがつまらないケンカが起こりにくいというのには合意できる。それでも俺がやり込んだのは3DS版だから。DS版のコミュに遅まきに混ぜてもらえるか、まだ存続しているのかみたいな問題はあるよな。同時にリボルトのコミュとかもあるのかどうか知りたいけど、SNSのコミュがブック書き込みさんに荒らされていて、みんな自分のブログ持って自分で攻略書けば良いんだとなると俺もこれでこのままで良いのか。

そう考えると直接対決もどこかで実現しても無益なのかも知らんが。遊び相手として譲るとか折れる部分が無いとガチにどこまでゲーム性がどう存在するかひとりでは見極めづらいのよ。

その意味でランキングの顛末が深夜帯の鬼の居ぬ間の洗濯で決まる耐久レースと化したときにその1台の3DSは果たして個人がひとりで運用しているのかみたいな問題に発展して、俺がドラクエXを発売日に買ってやる気満々だったのがチャットやキャラ名での人格攻撃で駆逐されたことを思い出してちょっと辛くなった。誰と何を競う気か。カッコ良く目立つジョンレノンの身に不幸が突然訪れたことなども頭の片隅に覚えておくと、ここは引き際かも知れんな。

あくまでゲームでと言っても俺が気にしていることがゲームの結果でなくウェブ上での電信であってそこにゲームが実在するかみたいなとこまで踏み込むと何もないかも知れないわけで。

そこで振り出しに戻ると、まあ自慢している人には誰かを負かした現実くらいは多分あるのだろうな。そこ疑うとフィクション作家対決になるからな。フィクション対決が対決の体をなすのはそこにゲームプログラムという頑然とした実験対象があって、それ格闘ゲームのネタの探し合いと結局何も変わらないんじゃって思うと俺は結構面白がれる。変人だから。


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