ルールや戦略の前に、カードゲームを通じて学んだ英語がある。
中でも日本語版「対抗呪文」"counter spell"のテキスト"counter target spell"というのをどう捉えるか。カウンターというとボクシングのクロスカウンターのように相手の技を利用して反対にやっつけるとか、ピッチャーが投げてバットで打ち返すみたいに最初はイメージした。
しかし、ことマジックザギャザリングのルールでカウンターは物理学の作用反作用の法則に基づいた哲学で出来ている。作用反作用の法則を「壁を手で押す」という理屈で高校の時には習った。壁を押してもびくともしないとき、それは壁があなたを同じ力で押しているから。これが作用反作用の法則。もし壁がコンクリートの建物とかでなく、ベニヤ板なら押したら破れるかも知れない。そうでなく、人が押す力と同じ以上の固さや重さがあるから、押しても押し返されて動かないということ。
そうして、対抗呪文の「カウンターターゲットスペル」のカウンターもまた、相手の呪文を同じ力で押し返すという意味で、日本語訳は「対象の呪文を打ち消す」となっている。
俺は昔に創価学会の人から勧誘を受けて「御本尊に願いをこめて題目を唱えれば願いは何でも叶う」と言われ「それなら巨人優勝と阪神優勝をそれぞれ別のところで念じたら、どちらかは叶うかもしれないがどちらかは叶わないはずなので論理的におかしい」と言って、自分が正しいとか論理がおかしいと思い込んでいた。
しかし、今一度この対抗呪文の「同じ力で押し返す」ということが争い事の究極であると言う風に捉えたら、まあ何でも叶うは間違いかもだが、俺の論理もまた「引き分けまでは持ち込める」というところで決着する可能性はあるよなと思った。それに創価が新興宗教で、俺の家は奈良で古いお寺なども多く、折伏によって既存の宗教のホーリーシンボルを打ち砕くという創価の考え方は温故知新に伝統を守る考え方とは反する。だが教義についておかしいところを指摘し始めて排斥するならそれは向こうがこちらにしてきていることと同じになるし、神道だろうが他の仏教だろうがキリスト教だろうが論理的なおかしさとか不完全さみたいなものはどんな宗教にも有り得るし、そんなに創価ばっかり叩く理由にはならない。
ハンブラビ法典の「目には目を歯には歯を」というのもそれだけが書いてあるので厳密な意味は不明だが、目には目をでもひとつやられただけで倍返ししてしまう人というのは結構にいて、しつこくて迷惑だと思ってしまう。これももしかして同じだけやり返せばそれで対抗措置としては十分であるという風な解釈を添えれば、案外それで正しいんじゃないかと思う。
お正月の駅伝で創価大学の選手が活躍したことを後からみなのツイートで知った。
俺は昨日はテレビで相撲のあとにラグビーを見ていたが、玉が転がっているだけで同じことをしているように見えた。そして地元奈良県の天理が試合で勝ってくれえたので嬉しかった。
そうして、決勝の1月11日をスケジュール帳で引くと最近凝っている占いである。六曜で友引と出ていた。占いを信じろというわけではないし、六曜の意味とも厳密には違うが、先勝という曜日があるのと同様に友引もまた曜日であり、ぜひ勝って欲しいとは拝まずに引き分けでええんちゃうのかと思っていると、心配事がひとつ減って楽しみがひとつ増えた感じがする。