役に立つ立たないでなく、ハサミは使いようという話

学校の勉強って、俺が学校通ってた時に何に役に立つのか分からないことも多かった。

ただ卒業してから、IT業界が学歴不問で普通科の高校から専門学校という学歴は珍しく、工学部とかの大卒と高専とか工業高校の中間として自分が武器に出来るものは何でも使ってやろうと思った時に、数学を復習して使おうとしたんだよな。

例えば、理系ミステリィとしてひとつの流行を作った森博嗣の小説にはこんな節がある。「木立から小鳥の群れが飛び立った。犀川は数を数えていた。13羽だった」とまあ、正確ではないかもだが、数を使って活字を埋めたのだ。そしてそういう節々が小説の登場人物が普段から身の回りのものを数と結びつけて考えているという世界観を形作っている。結城浩数学ガールはその潮流が無かったら生まれなかったかも知れないのだ。

そうして、今俺は高校の生物をおさらいしている。高校は物理化学の選択だったので、高1の時に生物はやったけど確か高2からは生物は受けていないと思う。高3からだったかな。俺は暗記は苦手なのだ。だが、たしかに俺は暗記が苦手だと社会科を諦めたが、よく覚えていることは色々あって、しかし俺の思考が尖っているのも「意味がない」と断じたものを切り捨てて無視して考える思考力があるから、オーダーをプログラム言語のソースに書き上げる時も計算で分かることだけをさせるから出来るのだ。

そうすると、生物の教科書でも図説でなく数字の出てくるところばかり拾って読めば一定の理解が得られてくる。細胞の話でも卵黄が25mmでヒトのニューロンが100μmとか、大きさとか数を軸に捉えていくと少しづつ頭に入ってくる。高校の時は化学は苦手だったと思っていたので、30代に復習した。そうすると、いま生物を読むとタンパク質はC,H,Oから成り立っているというようなことが暗号でなく炭素水素酸素でできているというように頭で翻訳されて入ってくるのだ。

思い返せば数学の先生とは良く喧嘩した。中学の岡田先生は問題集から答えを取り上げたものを配布し、子どもたちに解けない経験をさせて公式を覚えないと数学は解けないという論理で持って「覚えなさい」という態度だった。成績は最悪だった。だが、高校まで上がると、数学の公理系は簡単な定理からすべて演繹的に導き出すことが出来るということを教えてもらえた。

ただ、それでも俺はバカだったのでa.b.cとかx,y,zというのが気に食わず、解答用紙に「長辺を「あ」とすると」などと書いて、あいうえおで解答を書いて提出したりしていた。それに対して太田先生は解答用紙が真っ赤になるほど注釈を添えて、バツこそ付けなかったが答えは全部あっているのに三角だらけで赤点スレスレで返却された。

また、古文の阪本先生は「俺たちはテストの点を取るための教育をしているんと違う」と言っていたので、俺は試しにその学期はノートをちゃんと取って勉強して、テストを全て白紙で出した。0点で返ってきて、学校中の他の生徒が「ミヤザワがめちゃくちゃいい点取ったぞ!」と騒いで回った。

今でもそういう反骨精神で出来ていて、高校の勉強なんて大学受験のためにあって、大学生は採用するが高卒や専門卒は下請けとして雇用する、みたいなことを雇用者側が言うから高校の勉強を何かの役に立ててやろうと大学で使う方法でなく高校数学からの延長でモノを考えてプログラムを組み立ててやろうと考えたのかも知れない。だがまあ、プログラムは専門学校で習ったものだし、そこに高校数学の応用を加えたらそれ高専だし、洗練された手法が大学で学べてその恩恵も受けられるのに反発してわざと劣ったものを作って見せるのも、まあそういう遊びが許されるだけ社会が豊かだからなのかもしれない。困らせて甘えているんだろう。

まあ、暗記問題は苦手だが、それはテストの問題の作り方がそういう体を成しているから攻略法として暗記が方法のひとつであるだけで、基本的な文字の形とか疎通性のための固有名詞の暗記は確かに必要だけど、習うことが受験というサンプリングテストのための無意味な文字列であるということではないと近頃では思う。確かに暗記して乗り越えたらもういらないと思う人もいることだろうが、その行間には使いみちのある知恵が回りくどいやり方で散りばめられていると思うんだ。

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