XBOX360をD端子でテレビに繋いだ

バーチャファイター5を猛者のジャッキーで5試合ほど遊んでからニードフォースピードモストウォンテッドを遊んだら16時を回っていた。

なんかな。遊んでいるという感覚はゲームとして「ぷよぷよ」とか「トルネコの大冒険」とかのほうが玩具っぽくて奥深いようでしかも低スペックでも文字を使ったゲームならドット文字でも読めれば同じことなんだけど、ハイスペックゲーム機の表現方法をアピールするものはどうしてもバカゲーで映像美になるので、面白かったとかではなくなんか凄いものを俺は買ってしまったなと思って時間が経っていたみたいな感想になる。テレビ的な。

そして終わってからどっと疲れて「これで良かったのかな」という罪悪感みたいのが残る。

本を読んだり手帳を付けたり勉強ぽいことをすると自分で「頑張りました」をあげられる。

そうして、各種ゲーム体験もゲームとして神の視点で認識して 掌握的に進めると頭の中で文章化出来ると言うか、論理構造が出来ていって遊んだけどブログとかに残して勉強になったっぽい感想をこじつけることが出来る。

だが、XBOX360ともなるとただ圧倒される。メタ的に処理できる情報量を超えて目に新しい映像がどんどん飛び込んできて、じっくり考える間もなく次から次に与えられる課題を直感でコントローラで処理していく感じ。これを繰り返して成長できるのかと後から不安になったりする。まあ、もちろん体験にはなっているので経験値としては入っているのだが、それがXBOX360を上手く遊べるようになる以上の汎用化が出来ないピーキーな能力が育っている感じがするんだ。実はそれはファミコンでもメガドラでもサターンでもPS2でもそういうものかは分からないが、後から整理することで落ち着くのだろうな。

話をバーチャファイター5に変えると、今の称号はラウとアキラが十段でジャッキがー猛者なのだが、これを覇王目指して自分を追い込むことが辛く感じている。もちろんもっと上手い人に憧れが無いわけではないが、俺が1キャラ数百試合に対して近々バーチャもeスポーツ化が計画されているらしく、そのプロ候補になるんだろうと思う人は万単位の試合数をこなしている。そこまでやっちゃったら、もう潰しは効かないだろうと思っていて、しかし潰しが効かないがその道で食えるようになるなら生きていく能力としては俺の職能とかよりもっと未来社会的であるのかも知れないが。怖いという感じがするな。

する人はしているというか、ARチャットとかZOOM会議みたいなのが出てきても、俺はスマホから容量を食うアプリを削除して、家族との連絡はショートメールを使っている。電話も時々する。高校の時の英語の瀧田先生は「お前ら賢い大学に行って発明家かなんかになったら是非とも日本を農業国に戻す機械を作ってくれ」という矛盾を含んだ冗談を仰っていた。

またドラゴンクエストの企画者である堀井雄二先生は「もしゲーム機の進化がスーファミくらいで止まっていたら、それで延々と続編を作っていたかも知れません」とも語っておられた。

いや、俺も長いことPS2で遊んできた。XBOX360は持っていたが怖い気持ちもあった。だがな、こうして文章にして自分で読んでみると、ここは前進する人の輪に入るべきだろうと。

まあ、身の丈に合わないもので遊んでいるような浮ついた感覚はまだあるが、そういう拡張現実に適応した「大きな自分」をそのうち自分の内に感じるようになっていくのであろうか。