レミオロメンの「粉雪」を歌い込むことにした

この数ヶ月間、ギターは1日数分から運指の練習ばかりしてきた。

ファミコンの頃からゲームは電気を消すと消えてしまうことに虚しさを感じていた。しかし、フロッピ搭載のパソコンの文化圏はデータを貯めることを善とする。ファミコンでもドラクエIIIウィザードリィはバッテリー搭載でデータを保存できる。冒険の書というやつだ。

しかし、ファミコン及びスーファミゲームボーイゲームボーイカラーくらいまでのバッテリーは5年という寿命があった。データが消えたときの喪失感というのは本当に辛い。

それで世の中は不揮発性メモリの進化と普及による低価格化が進んだのだが、俺はそうして「消えないデータ」を蓄積する界隈とは少しズレていて「身に付いた能力」みたいのを絶対とするような価値観を持っていった。

対戦型のゲームの練習に明け暮れたり、ギターが弾けたり、俺の無駄能力はその思想から来る。もちろん、思想だけでなく身につけるためにそれ相応に行動はしてきたつもりだ。

だがふと、40代という劣化の年代に来た時に本当に消えないものについてあらためて考えさせられている。デジタルも技術の進化で滅多に消えないクラウド技術が出てきている。それに対するアクセスもそこまでお金がかかることではなく、安価である。しかし、データは肥大化し、例えば俺が小学校の時の自慢といえば「ドラクエでレベル20になったで」「俺なんて30まで上げたで」「俺なんて40まで上げたで」「ウソや30までしか上がらへんのにー」とこう、初代のドラクエはレベル20でクリアに必要十分であり、おまけで30まで上がり、30で頭打ちになるという世界で1から30までを序列化して自慢し合うこの文化はやがてドラクエ3でレベル99のキャラを何人持っているかというデータの競争に変わるのだが、その世界観を作っているのはセーブデータではなく厳格に定義されたロムカートリッジのドラクエのルールそのものなのである。

ドラクエのゲームプログラム自体は1メガバイトにも満たないほどであるが、それでもそうして1メガバイトの世界を構築したのは銀行系からの出資を受けたプロ集団なのだ。

そうして、昨今ではデータというのは「レベル」という単一のスカラ(数値指標)だけで背比べするような単純なものでなく、平安時代くらいから続いてきた囲碁や将棋の思考そのものすら包括的に計算してしまうようなところまで来ている。そしてそのデータをコピーするためには誰も手が届かない最新鋭のハードウェアが必要で、それはもう「そういう世界」だ。

また、別の角度から日本の宮大工がユネスコ世界遺産に登録されたようだ。建造物でなく伝承の技そのものが世界遺産だ。

この時代に於いて、ひょっとすると世界は残す技術よりも残すべき価値のあるものの選別という時代に入ってきていると思っても良いのかなと。

まあ、そこからは飛躍が多少あるかもだが、俺は俺の姿でギターを弾きながら「粉雪」を歌う姿として存在してみるのも面白いかも知れないと思ったのだ。

まだまだ、商店街の中にはレコード屋の玉井さんなんかが「楽器なんて出来なくてもレコードかけたら良いし、下手はうるさいし、練習なんて無駄」みたいな価値観なのだが、俺はコンピュータのスペックが多分将来的に余って、確かにレコードとして波形ファイルに落とし込まれた粉雪のデータで鑑賞には充分だが、そこにレミオロメンの動画があったら間違いなく人はそちらを選ぶと思っているし、もしそうでなく時代を超えて歌い継がれたりしたらもっと面白いと思うし、そのためのアクションとして自分で歌い続けるというのはアリだと思うんだ。