アーユルヴェーダというインドの哲学観になるほどで

宇宙と人体がつながっているというオカルト的なものだと以前は思ってた。

しかし哲学を掘り下げて、瞑想をして自分とは何かと考えると、宇宙があって地球があって日本があって俺がいるみたいな外界的アプローチと「我思う故に我あり」から出発して俺がいるからその俺が家で目覚めて部屋でテレビを見たりゲームしたり親父とタバコ吸ったり勉強してみるとその本に宇宙のことが書いてあったりという内観からのアプローチはどこかで結びつくものである。

これは最近アイデンティティの確立というテーマでも、付与的なキャラとか服装とか分かりやすい特徴を持って人からそれが自分であると認識されることが個性だと思っていたこともあるけど、人と全く同じことをしてやろうと思う時により高い技術の人間と出会いそっくり真似しきれないその序列のなかにも成長過程の自我はあり、何かを極めんとする時に発する動機やそれに対する行動もまた自我なのだろうな。

極めれないし負けるから辞めちゃうというのは「結局の所自分は何者にもなれない」というような自己否定感を生んで、それゆえ他者との関係性の中に自分を見出す。では何かを極めると完全な自我なのかと言うと、その自信はまた別の性格を生むだろうな。そして努力は辛い時もあるので、そのために忍耐力は必要だがその道で負けることは我慢できないというエゴも同時に必要だろう。

あんまり一度に書こうとすると話がグチャるので今日はアーユルヴェーダデカルトは無矛盾に繋がり、そこから内外ともなった世界のなかでの他者との関係性にこそアイデンティティという言葉が当てはまるのではないかというところまででおしまい。

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