ライフログつまり今日の日記

ブログを書いていても今日のことから思い出される過去のことを連々と書いてしまいがちです。だからまあ、まずは今日のことから。

トルネコの大冒険3アドバンスをエキストラモードでちびちびと。異世界の前に新界と封印を制覇しようと思ったが、飽きてまた異世界に。既に飽きていると言うか飽きたから放ってあったのだけど、精神的に俺が何かを諦めたことを知っているとそれを突く人がいる。弱みに感じていることさえ克服できればそれで良いのだが。

朝はマーガリンとジャムをはさんだコッペパン。昼は親父がゴルフの記念品か何かでもらってきたカップの天ぷらそばだったが、これがどん兵衛と比べてまずい。大盛りとカップに書かれていて満腹にはなったが後味が悪いので冷蔵庫からコーラを出して飲む。

あとは高校生物と有機化学の本を少しづつ読んでいるが、中学理科の履修範囲で生物に関わる部分も読み直した。虫や植物から始まって哺乳類から生殖の仕方まで。生殖の仕方で終わるあたりが多分中学理科の学習範囲での性教育だと今になって思うのだが、日本では性教育がどうのこうの言っている界隈の人は中学理科ちゃんとやってないか、学んだことが古く最近の事を知らないか、あるいはカエルの生殖から類推が効かないのだろうな。

それはそれで俺が高校の勉強をし直すのも理由があって、就職してから学生時代以上に本を読むようになって、高校時代は劣等感が結構あったのだが専門学校でまた優等感が出てきて、会社員として作品選考で通ったときにもそれはもう凄い自信になっていて、今の俺なら東大でも目ではないと思って東大教授が執筆者の本を集めていた。

その中に「東大生が優秀なのは東大の授業が格別に良いからではなく受験までの間に基礎力を培っているからである」とか、露骨にホットリーディングされたのか「確率が得意なら確率でモノを考えるべき。数学的思考、それこそ論考である」みたいなことも書かれて、多分スーツ着て就職してたから大卒と思われたのかもだけど実は専門卒なので、東大でなく何処の大学でも学べると言われているその一般教養が足りてなかったと今なら分かる。専門学校も短大扱いで単位制で卒業すれば専門士という称号は与えられる。だが本当に専門の勉強のみで一般教養がない。ちなみに東大に入ると最初の二年はまるまる教養課程らしい。

まあ、今ではネットでの情報も豊富だし教養的な価値というのはスマホ検索で補完されがちではあるが、テレビの教養番組でもずっと見てればある程度の教養は付く。

田舎の本屋ではなく例えば梅田の紀伊国屋でも行けば欲しい本は並んでいるのだが、俺はよく難波の淳久堂で本を買っていた。高校までは近所の啓林堂で本を買っていて、勉強のものではなくマンガやファンタジー小説ゲームブックなどの誘惑が多かった。谷六あたりに住んでいた時は心斎橋のブックオフやアセンスに自転車でよく通った。だが知らなかっただけで同じくらいの移動距離で図書館に行ける。今は家の最寄りの市立図書館も使う。

まあ、敢えてもういちど言うと梅田の紀伊国屋が俺の行動範囲で最強の書店だ。だが、目的の本が決まっているなら電車賃よりアマゾンの送料のほうが安い。

お金を貯める生き方以外に積読を増やす生き方をしても本って値段にもよるけどだいたい読める速度が決まっているので、積読しながら貯金というのならだれでも出来るんじゃないかと思う。読んで身にしてゆくのが難しい。勉強の本以外に音楽理論や楽譜に漫画の描き方の解説本など、買って読んだけど身になっていない本もまだまだある。

読みやすいものを選んで読破した感覚を掴んでいく意味では小説なども良いのだが、積読する前に一体何になりたくて本を集めだしたかと言うと、まあ要約すると万能の天才レオナルドダヴィンチで、たぶんこの理想像自体も古いと言うか歴史でも中世の有名人しか知らないやつの理想像なんだろうなと今からでは思うのよね。


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