テレビゲームエイジの心理学(何回でもコンティニューしたい)

ブログのトップをダルシム・ガイル・春麗にしてみた。

俺は近頃対戦ゲームをしても適度なところで止めておけるようになった。

以前は本当に負けるまで手を抜かず頑張り続けたし、負けた時は勝てるまでコンティニューしたので、勝っている時は恨まれることすらあったし負けている時は財布が空になることもあった。まあ、ある種のギャンブル依存症に近いものだったかも知れない。

この「適度なところでやめる」というのが相手している側からして気持ち悪いという話だ。

何がどう気持ち悪いのか言葉には出来ないけど、相手してスカッとしないとでも言うか。

これはゲーム機やパチスロ台などがデジタルでROM回路として焼き付けられたもので、永久不変であるからそれを相手にして勝つことで制覇したような感覚を得られることから、同じように対戦型でも相手に勝つまでやることで征服感を味わいたいとでも言うか。

ハナから博打だと思っていたら、そうはならない。ただ、純然にテレビゲームで対戦型で強いほうが勝つという思い込みがあるから、自分が負けても勝つまでやれば自分のほうが上とか、攻略したと思えるからそういう消費心理になるのだろう。

この考え方を完全にあらためてくれたのが「使ったお金を数える」バーチャファイターのカードシステムだ。「ムキになって対戦している間にナンボ使ったんやなぁ」「勝率高めたいなぁ」と勝ち負けを数えてみると、連勝とか連敗をトータルしてみて、まあせいぜい初心者狩りで9割、自分より強い相手とやると4割切ったり、キャラ差もあったりで、確かに勝った負けたはあるけど、勝ったその瞬間に強いほうが勝ったという考え方ではなく、弱いほうが勝つことも強いほうが勝つことも有り得るギャンブル的なゲームシステムで、それらはつまりお金を巻き上げるために運用されている。

まあ、お金が余っている人から楽しい思いをしてお金を分けてもらうために必死こいて絵を書いてプログラム組んで広告して頒布して「そこまでやって100円かい」みたいなのがテレビゲームだったけど、それがファミコンで億単位の売上が出ちゃって会社が大きくなって仕掛けも大掛かりになって、暇でお金のある人がバンバン作れ作れとお金を撒く。

バブルだったんだなぁ。

そこらへんも踏まえて、確かに強くなりたいゲーセンとか大会で目立ってみたいとは思うけど、お金と時間と情熱をどれほどそれに注ぐのか。ちょっと引いてみたんですよね。

それで、確かに強い弱いはあるけど、強い人になるほど操作が機械的に精密で、それでいてゲーム性には対戦故に心理の読み合いもある。ただ、それを制するための練習量とか考えると、そこまで根を詰めても常勝不敗になるわけではなく勝率が数パーセント上がる程度の効果しか無く、そして思考型ゲームと言うよりコマンド操作の肉体依存性が結構に幅を占めていて、それでも張り合って自分を追い詰めることをしてきた時期もあるけど、今はもっと楽を求めているんですよね。

まあでも、思考型ゲームと考えても負けているんだと思いますよ、強い人に。

ジャンケンだけど、毎日ゲーセン行って「ああ来てこう来て」と相手の傾向とかを覚えていく頭があって、それ博徒が麻雀とかでカモを見つけたら人間観察するそれと近くて、警察が犯罪者の次の行動を読むときとかにも応用されているような、そういう心理学です。

そうじゃなくて、テレビゲームでも8ビットとか16ビットくらいで「全部やっつけた」みたいな感想を持ちたいと思って毎日ゲーセン行くと際限なく相手がいて、それにハマってればまあ楽しかったんだけど、コンピュータ麻雀とかでも擬似的にその楽しみは得られるわけで。

まあもちろん麻雀でやるよりレバーとボタンでキャラ動かすストIIでそれやれるほうが幸せなんですけどね。

強くなって大会で賞金稼ぎするゲーマーとして上がるのではなく、お小遣いからゲームに当てるその額を小さくするだけで充分な生活が出来る。カップラーメン食ってゲーセンでゲームするなら家でゲーム機で遊んでもうちょっと旨いもん食うみたいな当たり前の金銭感覚でモノを考えるようになったんですよね。

ただ、もしかしたらそこをカップ麺ではなく小麦粉買って麺打ってラーメン屋の仕事してゲーム強い人みたいなのがいれば、それはもうただただ頭が下がる思いになりますよ。

競馬とかパチンコでも、その日暮らしの人のための娯楽ですからね。歴史的には競馬は貴族の社交場だったこともあるらしいですけど、現代ではそうじゃないですよ。ゴルフもそう。趣味でゴルフしている人がプロゴルファー目指して特訓しているわけでは無いと言うか。

100円玉を数えないで何を賭けてやっていたかと言うとプライド賭けてやってたんですよね。それが今では100円すら賭けないで、余暇として遊ぶことを選んでる。だからプライドもすごく低いところで燻ってるんですよ。

何不自由ない暮らしだけど、プライドを賭けるほどの対象があったのにお金のためにそれを堪えて生きるというのが何とも言えず退屈で。

それでも日々の暮らしを考えていくと、お金を貯めて長生きしたほうが将来的にもっと別のことが見つかる日も来るかも知れないという、いつまでも命が続く日々を信じているうちに段々と何もないまま年を食ってきている。俺の30代40代はそんな感じで進行してます。

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