児童ポルノみたいなものを見てしまった

赤裸々に書いているところのある俺のブログであるが、なぜにそんなに赤裸々に書けるかと言うとバカを晒して実はしれっと恋愛とか性についてのことで隠し事をたくさん持っており、全て晒していますという体でそれを隠しているつもりなのだ。

しかし、どこかで触れなくてはならない気がする。贖罪のようなものだ。

そもそも、発端としては田舎ヤンキーのエロ談義とかゲーセンに来ていた低所得労働者のソープ行った武勇伝みたいなのに思春期の時の純愛性向をバカにされた鬱屈があると思う。

男なのに女性作家の恋愛小説を読んでいた。自分が悲劇のヒロインで周りの男は私を捨てるバカ男ばっかりというような短編集だ。今にして思うとちゃんと結婚しないで恋愛に夢を見ている間に適齢期を過ぎてしまったおばちゃんの妄想なのだが、そしてそれも時代が流れると倉田真由美の「だめんず・うぉ~か~」みたいに笑い話として昇華されるのだが、男子校で女子がおらず小説で恋愛を楽しんでいた俺からすると振られた妄想で書かれている男がいったいどうしてそこまでモテるのかみたいな疑問があった。

その正解は24歳くらいまで童貞だった俺がコツコツ貯めていた福沢諭吉のプロマイドをほんの数枚分けてあげるだけで獲得出来ることを知ってしまった。都会の貧乏な女は自分の性を安売りするものである。高いか安いかという議論は実は田舎なら夏目漱石のプロマイドでも楽勝だったりすることなども考えなくてはならないが、当時の俺の金銭感覚と売価の比較からすると安く感じた。

売春は犯罪だが、都会の性風俗はセックスの本番行為つまり受精を伴わない裸同士のプレイで男性の精子を体外に捨ててしまえばそれは売春とは見做さないみたいな屁理屈でフェラまでOKとか、もっとディープなのとか、いろいろあって、しかもモテなかった俺からすると働いている子が全部けっこう美人ぞろいに見えた。

そうこうしている間に病気をもらって医者にかかったりもしたのだが、抗生物質1発で病気は治り治療費は保険が効いて1000円だった。その頃に新札が発行されて福沢諭吉は相変わらずだが5000円がたけくらべになって1000円札がペニシリンになった。そしてテレビとかメディアも「いいぞもっとやれ」みたいなダメな応援ムードだった。

それが変わったのは地元に帰ってきてからだろう。俺の地元は城下町でもともと遊郭があったが女性蔑視であるということで政治が動いてそういう店が無くなったという歴史を持った地域なのである。俺が罰せられることはそれでも無かったのだが、テレビが移すのはミュージシャンやお笑い芸人の不倫をバッシングする放送に変わっていった。

俺としても、自慰行為とか本やビデオがあるので我慢というかそれで済ませることは出来る。そして、恥ずかしいと仕方ないを天秤にかけたり、そういう性交渉をしても新しい家庭を得ることは出来ないという社会常識に絡め取られ、やっちまったことは過去のことなのでそれを隠して生きてきた。

それで今日も用をたすためにネットでエッチな動画を楽しんでいたのだが、そこで初音ミクのコスプレをした少女があられもない姿で自分の自慰を「配信」して、コメントが付いて「来てくれた〇〇さんありがとう!」とかカメラに向かって笑顔を向けながらそこに3000人くらいの視聴者が付いているという世界を垣間見てしまった。

ここは俺の過去よりもどうにかこうにか折衝点を持たねばならない性のモラルが俺の思っていたのと反対の方向で驀進しているように思えたんだ。


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