震災から10年で原発問題を考える

俺としてはテレビの中の震災だったというわけで被災地にも訪れずに10年経ちました。そして俺はコンピュータ技師として電気使うので原発に対して長らく推進派でした。だって電気使うほうが生活ラクだしゲームだって楽しいじゃん、みたいな軽いノリです。

けど、田舎から出てきた友達に「なんで推進派なん?カネもらえんの?」と問い詰められ。俺は一生懸命働く意欲がある人を前にしてもなお推進派を貫くほど強硬派でも無いです。

ところで、原発の処理水を放流する判断についてですが、俺は安全性の保証という意味で放射能科学は物理化学的な実験ですら歴史が浅くて解明できていないことが多いのに、ましてやそれを生物が取り込んでの生化学反応の実証実験は不十分だから流しちゃいけないと思います。

安全側の論理は「処理水に含まれるトリチウムは水素の同位体だから人体の中で水素として振る舞う」というものですが、パチンコを打ってヘソに玉が入るように確率は低いかもだけど、精子とか卵子みたいなクリティカルな部分に代謝によって出ていかなかったトリチウムが偶発的に入ったとして、それでも大丈夫かというような実験はされていないと考えます。

ただ、もっと深く考えると卵子のタンパク質が水素同位体から成るものでも、細胞分裂って体外から分子を取り込んで大きくなるわけだから、分裂に際して取り込まれる水素分子は同位体ではなく自然界に最も多い水素になるわけで、やや逆説的になると自然界にも微量のトリチウムは存在して、それに由来した変異が人間に起こっているという根拠も無い以上は無害なのかも知れない。

福島に処理水が放流されたとして、それを食いたいか食いたくないかと言うと俺は能動的に福島の魚を買って喰うことは無いけど、俺はジャンクフードでもコンビニ飯でも発泡酒でも食うし、タバコも吸う。だから放流後にそれと知らずに食ったフィッシュバーガーが処理水関連のものだったとか、回転寿司で回ってきた皿をとって食ったら知らずにそうだったみたいな事案で、そりゃ放流されたら口には入るだろうと考えるわけです。

だから、放流に対してはどうしても否定的な立場になります。薄めて流せば大丈夫ってのは危険を承知の上で希釈することで確率的なリスクを低減しているだけで、反対に濃縮して細胞に取り込んでも生物に変化はないみたいな安全根拠を示してから放流すれば良いんじゃないですかね。


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