汗をかき手を動かす仕事

株式会社TOKIO設立のニュースでキャッチコピーが出ていました。

「汗をかき手を動かす仕事」

子供の頃から口が達者で、職業としてプログラマになってからも洋書で学んで専門用語でわけのわからないことをペラペラ喋る性格だったんですよね。それは花形であるソフトウェア業界だから通じる仕事の仕方で、特にプログラマとして手も動かすけど、口も達者だったので手を動かして仕事をしている部分が隠れて、口で人を使ってアウトソーシング的な仕事をしているとよく誤解されたんです。

それでソフトハウスだけでなく工場勤務とかもして、ハードウェアが手仕事でソフトはおもちゃ遊びと思われていた業界の中で、ノイマン型コンピュータの性質上でコンピュータというのはどんなものも同じ原理で動いていて、ソフトウェアを組み替えたら相互に交換可能であるというようなことを仕事で示してきたんです。

ただ、それは実はトップシークレットでノイマン型コンピュータに共通のプラットフォームが出来てしまうとソフトウェアの仕事が無償化されてお金儲けの道具として使えなくなるので、あえて規格を多様化させて企業間競争を生み、売上を出して開発費用を確保して業界は大きくなって進んできたという側面もあるんですよ。

それを踏まえても仕事というのはペラペラ喋ることではなく手を動かすことであるという点には同意できて、口で言うのを我慢してこのブログという形でキーボードを打って活字で人に物を伝える今の習慣が出来ているんです。

その意味で株式会社TOKIOのキャッチコピーである「汗をかき手を動かす仕事」というのは分かるんです。その「手を動かす」という点で、キーボードを打つというのが「手は動かしている」という屁理屈で分筆をしているのなら手を動かす仕事の本来的な意味とは違うという立場の人と、それでも仕事であると認めてくれる人に賛否が分かれると思うんですね。

いま俺がブログ執筆に使っているのはMacBookProで、OSはLinuxベースなんですよね。それはLinuxの「ソフトウェアは無償で共用されるべきである」という思想に則りながら、それでも良いものならば人はお金を払うという意味で、元々すごく高級品だったMacが当時の俺のお小遣いでポンと買えちゃったわけです。OSは基本無料のものにメーカーがカスタマイズしたもの、そしてハードは高級ブランドのもの。それでも価格は市販品のラインナップで並と高級の間くらいに設定されたわけです。

しかし、それはアップル社の独占市場を後押しして、いまケータイ市場でiPhoneは最高級品に返り咲きしています。これはどう捉えたら良いのだろうかな。

まあ、今の俺の生活はテレビ付けっぱなしを背中にノートで毎日自動で蓄積される統計情報などを見て、そして日課のくだらないこのブログを書き、ちょっとギターを弾き、たまにゲームをする。10年前の震災からの復興を目標に福島でボランティアの仕事をしている方などにはとてもじゃないけど頭が上がるわけがないような生活です。

ソフトハウスにいる間はお客さんが持つものが多種多様なので、それに合わせて会社でも多種多様のコンピュータを揃えて勉強していましたが、この10年は基本的にこのMacBookProを1台だけ使って自宅で仕事をしています。

ここで記事中に出た疑問ふたつ

1:プログラミングや分筆は「(汗をかき)手を動かす仕事」として看做してもらえるものか

2:「手を動かす仕事」と認められたプログラミングを無償で行うことは本当に社会正義か

この2点についてもっと突き詰めた論考をするべきではないかと。

作ることは仕事で、それでも仕事にお金を適切に払うという文化が無いために、作り方を隠蔽して機密化してお金を取る。いままでの業界はこういうロジックで出来ているんだと考えます。結局お金がいるならソフトウェアの作り方なんて教えてもらえても自分で手を動かして作ることなんてしたくない、みたいな怠慢な人でも、目の前に新しい優良なソフトが出来てくると欲しがるんですよ。けど、そこにお金を使うのではなく違法コピーとかしようとする。

なかなかに深い人間観察を倫理観を踏まえた上で必要悪もしくは確信犯的にプロテクトをかけて独自規格化してきたのが10年前までのコンピュータ業界で、それから10年でそれ以前の50年を綺麗にトレースしてきただけではないのかという堂々巡りの議論をしている感じもするんですよね。

そこへ来て、株式会社TOKIO設立の背景には、復興を含む農作業や土木作業をボランティアではなくちゃんとお金に繋がる形にってのはすごく納得できるんです。