今日のカプエス2(Aベガ・庵・響)

人生で何度か正夢というのを見たことがある。

同じような学校通いに会社通いの日々、明日友達とこんな話をしようとか考えて寝ると夢でそれを見て、そしてそれをどこか忘れて同じシーンに出会い、はっと気付く。「夢と同じだ」と。

格闘ゲームの大会で何度も思い出すのは'93国技館ダルシムでの敗戦だが、最近2001年のカプエス2公式全国を少しづつ思い出している。ギースでロレントのしゃがみ大パンチを中段当身して「オオー!」となった後にスライディングをジャストディフェンスして「エエーッ!」となった時にどこかで'93国技館の「エエーッ!」を想起しながら、もう「エエーッ!という野次には負けねぇ!と思いながら戦っていた。

しかし体力有利での大将戦はほぼ無心で内容も珍しくあまり覚えていない。恐らくだが、その前のキャラで歓声を受けて紅潮していたんだと思う。そして、よくよく思い出すと自分が負けた時の歓声が「オオーッ!」とかではなく「あ〜あ」だったなぁ。

バーチャルリアリティに没頭する人が増える昨今、もし仮想体験でも満たされるなら素晴らしい夢とか白昼夢のような想像でも人は満たされるのではないか。そもそもがゲームという映像だ。それを観客が囲んで熱狂している。ストIII3rdのクーペとか実際に大観衆を背負ってゲームした時に、試合に集中していたものは画面は大画面ではなく目の前のゲーセンと変わらないディスプレイで、周りの景色などあまり気にしておらず、試合の前後は他の参加者と雑談したり観戦したりばかりが思い出される。

そして倒すべき敵と思うときもあるウメハラにしても共に他愛ないゲームを楽しく見せる仕事をしていると思うと仲間にも思えてくる。1番の取り合いということになると人気で負けていると思った時に恨めしく思うものだけど。自分が出て勝つという目標があるからそのために嫌々の努力としてゲームをしても報われない思いのほうが強い。ゲームが楽しいから遊んでいて、その中で日々に成長や発見が小さなことながら積み立てられて、時が経ってみた時に見え方がどう変わっているかという。

その視座に立つとカプエス2の「だーよし」でも滅多にやり合うものでもないし、嫉妬するのもおかしな話なのかもしれない。

ネットでの外野の知名度が欲しいとか、自分と関係のないところでも名前や偶像が独り歩きしてその崇拝の対象が自画像に向けられているみたいのを多分望んでいたんだろうけど、それはさらにその先に全ての望みが一気に何でも叶うみたいな幻想も含まれていて、そうではなくて地域とか家族で応援してもらえるみたいなことから、積み立てて行くことのほうが着実だと近頃じゃ思うんだ。

自宅の部屋からテレビゲームの音が漏れ聞こえた時に「勉強サボってゲームなんかしてやがる」みたいな否定的な話が「毎日ゲーム頑張ってるね」という声に変わってきたことで日々の全てが報われたような感覚になることがあるんだ。

まあ、土台が映像で夢みたいなもの。家族仲が悪くてゲーセンに誘われていつからか居場所がゲーセンになって家族に対してゲーム大会で優勝してテレビでも出ないと分かってもらえないみたいに思っていたものが、それがゲームのせいとか広報のせいとかゲームに対する努力の差とか、そういうことでもあるだろうけど、それ以上にコミュニケーションのマメさの問題なのかなって振り返るんだ。

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