「正しい」を定義するには唯物論から出発するしか無い

まあ、唯心論を否定するわけではないです。

仏教とかは究極的にお坊さんがひとりで祈って悟っていればその頭の中で解決するから。

それで、科学的に物事を見ようとするという立場を取るなら、唯物論から出発します。

しかし現代ではまだ人がどんな夢を見ているか外科的に客観視することは出来ないです。だからその人の見ている世界ではなく自分から見えるその人の肉体、服装、言動などで人を判断してしまうことになります。こういう人は多いんです。

では他にどう判断するかというと「人のことは人のことで分からない」と認めることから出発する柔軟性が必要です。俺は学生時代に有本と帰りの電車で話をしました。有本はその前に「自殺なんてするやつがいるのが分からない」と言うと俺は「俺は自殺って暗黙の突き落としみたいなもので、社会の他の人間が不要だと思った人間を追い込んでいるからその人が飛び降りたように見えても間接的に突き落としているようなもんだと思う」というと有本は「うーん、どうしても分からない」と言ったんです。

それから有本は学校でいじめられるようになった。そして有本はまた俺に相談してきた「アイツラにアホとか言われるのはムカつく。だけど殴ったら俺が悪くなる。ミヤザワさんならどうする?と」俺はこう返した「アホという言葉を自分に対する侮蔑の言葉だと解釈するからそれで腹が立つのだろう、例えば外国語か何かでアホと発音する何らかの意味があってそれを彼らが言っているだけだと思えば腹は立たないのではないか」と。すると有本は「何でそこまでしてアイツ等のこと許してやらなきゃならんの?」俺は答えなかった。

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