言葉の壁の厚さは国語で書かれた本の厚みと比例する

趣味としてエスペラントの歴史についての言語学の本を読み始めました。

長いこと本棚にしまってあって、冊子の中ほどに栞が挟んであります。そのページで読むのをやめたのか、本の内容は思い出せないのでいっそ頭から読み直しました。

そうすると、まるで分からずに飛ばしたのであろう序文がスラスラと頭に入ってきたのです。そして、この言語学の本は序文を読んで俺の直感は「冗句だろう」と告げました。

冗句だと思って読むととても楽しい本で、エスペラントは世界の人が共に使う全く新しい言語を目指して作られたはずなのに、それを俺が理解するのに自然言語の日本語と神によって知を啓かれた預言者の聖書を読まないと意味が分からないのです。

何故昔の人が国際共通語を作ろうとしたかと言うと、争いごととそのもととなる貧富や主従について物申したいからであったと本には記されています。

もうひとつ、ときどき手にとって読む本があります。学研なのでやや低年齢向けに書かれていますが、題材として面白い東洋医学の本です。本によると現在の漢方や生薬は過去において自然の草木を食してみて何度も腹を悪くしながらも生き延びた神農の体験記によるもので、それを書物から受け継ぐことが腹をいためずに病を克服する術であると記されています。そういう風に体験ではなく読書などで得る知識を一般的に学識と呼ぶそうです。

何故そこまでまずいものを食ってでも生き残ろうとしたかと言うと、それは生存本能だと片付けられるかも知れませんが、ではそれを本に記して後世に残そうとしたのは誰のためでしょう。

東西に由来する別々のものとしてふたつの本を読んでいると、ふとしたことでそれらは対立しているようで読み込むと無矛盾の合理を結実するのではないかと考え始めました。

言葉だけでは嘘か真か分からないので実物提示教育が必要であるという考えもあるようですが、言葉は神が作ったものであるとするキリスト教圏に対して象形文字から出発している漢文は翻訳ではなく、別物として扱う必要があるかもしれません。

日本にいると和歌に詠まれる「やまとことばのうつくしさ」も大切にしなきゃとおもひつつ、人間てのは神が作ったものか自然の中で育まれてそうなったのかで対立軸を作って揉めているのだなぁと。それも多分揉めること自体が学者の趣味の範疇になるんだろうけど。

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