世も末にいまの警察や弁護士の役目、それでも善を求める

俺は病気を患っていて、会社員のとき加入していた厚生年金の保険料をもらって暮らしています。親父は自営業なので店とその奥に住居があるわけで、家賃もいらないで二ヶ月で9万5000円ほどの年金は使い切らずについに会社員時代より貯金が多くなりました。

お金を使いたくないのでスーパーに閉店間際に入って半額の惣菜やお弁当を買うという生活をしていた時に泥棒の疑いをかけられ、また店の奥に隠れていて街をうろつくごろつきには見つからないように暮らしているので、夜にそっと出て何故かお金を持っていてスーパーでものを買う暮らしがが混沌とした彼等の何かの勘所に触ってしまったのか、絡まれて殴ってしまい、そうして喧嘩上等と思っていたら殴られるのではなく取り押さえられ警察を呼ばれてパトカーが2台も来る町の大事件になりました。彼等はごろつきなのかヒーローなのかはよく分からず、俺は万引きと思われないようにスーパーのレシートを部屋に貯め、その袋があふれるほど一杯になりました。

ところで、俺は俺の正義感のようなものがあるのですが、よく庶民的ドラマの「悪いやつみたいだけど本当は良いやつ」の本当とは何か、世の中の嘘と本当は誰が決めているかということを掘り下げて考えていました。答えから行くと、その人にとって利するからその人からみて本当はいい人というのを損得の差し引きでその人が自分のものさしで決めているんです。

つい先日には大和郡山の市長選があって、上田清さんの6選が決まったわけですが、きたもん勇気の派閥もいてどちらに入れるといい人かということはなく、上田さんに入れるのはオヤジの仕事の関係もあるし、民主主義で田んぼの字がつく代表者が喜ばれるという常識のもとで、さらに選挙事務所が俺んちの近所に引っ越してきて、悪徳宝石商のイシガミを追っ払って跡地に入ってくれたので、まあ選挙について深く知らなくても俺から見たら上田さんなのです。

しかし、庶民的ドラマでは政治家は本当は悪い人に描かれることも多いです。まあ大雑把に行くとマスコミの印象操作というやつだと思うのですが、平和な時代が長く続くと軍国の軍隊は仕事をしない役人と成り下がり、求めたはずの平和の暁には腐敗した内政があるわけです。

まあ日本も今はそういう末法の時代。善かれと思ってやっていることでも、全ての人の等しく善が降りかかるわけではなく、自分に親しい人にだけ利して、遠い人から見るとラクにやってるお金持ちの悪い人になるわけです。

そのなかで自分に悪く言う人を名誉毀損で弁護士を立てて何とか出来ないかと相談を始めたのですが、刑法の範囲で警察で解決するのは難しく、民法で弁護士を立てるとなると、お金を出して弁護士を立てて自分の嫌いな人の悪口を黙らせるなんてのは筋が通らずお金も損で、民事裁判というのは弱者を守り強者からお金を取るためにある実利的な目的があってこそのもの、それならばお金持ちが腹を立てて殴ったり、車で轢いたりして、損害賠償を払ってあげるほうが相手のためになるというかなりとんでもない論理に決着してしまうんです。

これは警察にとっても、法に触れることをしてくれたら立派な犯罪になって、出動できて刑事さんなどは手柄が上がって出世して給料も上がって庶民からはヒーローになれる。けど、犯罪が巧妙化して誰かの損得や善悪感からははみ出ていても法の枠は超えていないとなると、法に触れていないから悪ではないかというと困ったやつでもあることには変わりないんです。

まあ、俺は今あらためて善とは何かを考え直しています。古くからの正義感のままでは実態社会にそぐった善業であるとは言えないわけです。


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