「持つ」という言葉のトリック

「人は車を持てるか」というと恐らく力学的に否となる。

多くの人が所有しているのは分かる、だがそれはクルマの鍵を持ち、ドアを開け、乗って操縦しているのである。ハンドルを持つことがもしかしたらクルマを持つということかもだが。

同じことは家にも言える。家を買うというと、土地や建物に立ち入る権利書を買うことである。立ち入って、中に入って住んで寝るということ。多く鍵をかけて、中に家具や金品を揃えるということ。

俺は生まれた時から親が家もクルマも所有しているというところから始まっているし、平成生まれなんかにしてみると、昭和生まれの俺は比較的に金持ちだと言われたが、あたり前のことかも知れない。

だが、残念ながらこうして文字を打ち込んでも、読まれるかどうかは分からない。眺められることはあるだろうが、多くの文字文明は読める者が支配階級になりながらも、その伝承に失敗して滅んでいる。ユダヤ人のみがそれを受け継いで世界のすべてを知っているという伝説は俺は多分ジョークじゃないかなと思っている。

俺の夢は「世界征服」の四文字だが、例えば俺が本当に地球や宇宙の星々全てを所有していると仮定しても、例えを変えると俺という自我が芽生えながらも主体である心身の全てを網羅することすら出来ていないように、持っているはずの地球のことすら隅々までは知れないのだ。

同じように銀行に預けているお金も上の桁は把握していても下の桁全て覚えているかと言うと覚えていないし、今朝は洗濯が終わって干して吊っていたシャツを取って着ると胸ポケットからしわくちゃの千円札が出てきて、とても儲かった気持ちになったものだ。