ヨブはどうしてサタンに全てを奪われたのか

乱読している。

ハーブの本を読んだり、ふと薬と化学の関係から生命の起源つまり無機と有機の境目には無機化合物と有機化合物の差が電気で示せないものの、モノは分解してゆくとやがて原子になるが原子はそれ単体では自然界にほぼ存在せず分子として存在する。その分子は原子がイオン結合で結びついていると電気的に理解されているが、生物つまり有機物とか有機化合物は分解して原子になっているものが電気ではない何らかの結合で結びついているという自明の理にたどり着いて、有機化学の本のどこかにそういう記述がないか探すと、1ページ目に赤線で載っていた。ウェーラーだ。

そのくせ「有機化合物には1000万以上の種類があり、様々な場所で利用されている」と次章に続いている割に、有機化学は理論のみでひとつひとつの化合物については触れられない。それらは化学ではないからか。では何と呼ぶ。材質研究なら物理学の範疇に巻き戻るのか。

そういう理系受験みたいな勉強をしながら、ふと聖書を読む。まどろっこしくて読みづらいが、ヨブ記の真面目な牧畜家のヨブがサタンに騙されてゆく話だ。俺は聖書のそれよりロシア圏の「イワンのばか」で言葉で人を騙すのは悪魔で力仕事こそ仕事であり、悪魔が弱って木から落ちて頭を地面に打ち付けたとき「初めて頭で仕事をした」という皮肉で終わる話が共産思想の根底に刷り込まれていると思うのだが、旧約聖書の悪魔の役目はそれとはちょっと違って、悪いやつというのは悪魔に騙された神を信じられない可愛そうなやつであって、日本語にすると「罪を憎んで人を憎まず」の如く全ての罪のシンボルにされるのが悪魔だろう。

まあ聖書が善を説くのに都合が悪くなった書物が中世に禁書にされており、知的好奇心からそれらの写本を求め、色々知る内に体系それ自体の論理構造を理解して、神を冒涜しておきながらいざ罪を背負うとなると「ごめんなさい、つい悪魔にそそのかされて」というとこれが何とも循環論理のように悪いから悪魔なのか悪魔だから悪いのか分からなくなり、つまり悪いことなど誰も何も教えなくなったら世界から悪魔も罪も滅び去るというのがキリスト教布教の大義であって、神に救いを求めたら今からでも俺は許されるのかという期待にも矛盾が生じる。

経済についても、労使関係のお金にまつわる貧富のゲームであることが顕に見えてくる。論理学はまずぼんやりと見える社会の像を論理学で考えるためにハッキリと捉える最初の段階がいちばん難しいと思うし、日本語にその不可能性を感じて英語で論文を書く人もいるけど、いや日本語でも案外と馬鹿みたいな言葉で正論を唱える人はいて、多くの識者が難しい言葉で人を真理から遠ざけることで騙しているために正論を稚拙と跳ね除けている構造に気付く。

すべての物事が分かるとしたら、世界のすべては森羅万象すべて因果で繋がっているわけで、それらを説明するには言葉では不十分であり、充分であると仮定しても言い終わるまでとんでもない語数と時間になるだろう。だから、真理を知ることより言葉を話すものを遮ったり、本を読むのを止めたりして行動しないと、いつまでも物事は進まなくなってしまう。

乱読してしまった末にあるのは乱筆であって「乱読せよ」とはテレビの歌番組の作詞家、阿久悠さんの遺作による。テレビたくさん見たなぁ。テレビを見るとバカになる。教養モノであれば話は別とか、啓蒙主義者がテレビをバカ番組から教育番組に変えようと運動したとか、だけど啓蒙のその末には公務員である教育者の属する政府の意義すらも論理の果てに失われてしまう。

この矛盾よな。阿久悠先生はマトモに書けない作詞家だからテレビで放送するのに害がない乱筆を狙ってか狙われてか放送する仕事の一端を担っていらしたのよな。

そして天に召されたのだろう。

乱筆した。

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