仏教の詐術を読み解いてからの格闘ゲーム攻略

英語のPlayとPrayは文語では遊びと祈りに翻訳され、明確に区別される。

しかし耳で「プレイ」と聞いて明確に聞き取れるかと言うと前後の文脈が無いと難しいかも知れない。話し言葉で「あそび」「アッソービ」だとすると「お坊さんがスクーターに乗ってプレステを家まで遊びに来た」と「お坊さんがスクーターに乗って檀家参りにアッソービに来た」と言い換えてみたらどうだろう。それでも頭が固いとアッソービは祈りだろうと拒まれるかも知れないが。

ところで、俺は仏教を詐術だと近頃では考えている。よく言われる「小さなことでクヨクヨするなよ、宇宙を考えてみろ、その中に太陽系があって地球があって、海の中に小さな島があって自分がいるんだ。ちっぽけだろ」みたいな話だ。他には「自分の体だと思うなよ。息するだろ。吸って吐いて。吐いた息は空気と混ざって大気と繋がっているんだ。そうするとお前は空と繋がって宇宙と繋がっているんだぜ。お前は宇宙のイチブだしゼンブなんだ」みたいな話だ。

確かに、原始仏教には宇宙論や医術論もあり多分俺の知らない秘術もあって、知の集約されたすごいものであったのかも知れない。ただ、その頃にコンピュータやワクチンがあったわけでもなく、宇宙から考えて気分がおっきくなった人が事を成して世の中が変わってきたわけでもなく、もっとミクロなものの相関関係を読み解くことで、世の中の利便性が少しづつ上がって今の日本があるんだ。インドは宗教の優れた国だと言われているけど、気付けば後進国じゃないか。気を外に向かわせているようで、地球は中国やアメリカのほうが制圧度が高い。

それとこれとは全然違うかもだが、そう考えると解けた問題がひとつあって「ストIII3rdでめくりを狙う人がいるけど、ブロッキングがあるので直前で前後ろどちらに入れてもめくりの深さによらずブロッキングかガードになるので意味がない」という論を唱えられて悩んだ。

答えは実はこうだ「めくりに意味がないと言うが、正面から飛んだらガードかブロッキングになるのではなく全部ブロッキングになるので技を出す意味がない。めくりだと半分ブロッキングでなくガードになるならそこから投げが狙えるので、不利ではあるが攻めにはなる。ストIII3rdはそういう風に細い攻めを何度も勝たないとダメージの入らないゲームだ」と。

ゲーセンで談義をすると、なかなかに頓智の効いた文句を言うやつがいて、それは正しそうに思えるけど、本当のところを突けないと正しい攻略法にはならない。言葉で騙してゲームに勝つタイプのプレイヤもいる。自分がされて嫌なことは人にはしないというのは一般則だが、こと競技に限ってされたら嫌なことは対偶を成すと勝つための道筋としては有効だ。

まあ、自分から攻略法を考えて「これは効く!」と思ったことが相手からするとされて嫌だったことになり、真似されることと相手が他のゲーセンに移動することで相手の技のようになってしまうという問題から、自分から攻略法を提示するのではなく待って観察して、人のすることの顛末を見届けてから、自分がどうするか決めるという後手の選択で今は動いている。

中国やアメリカが大国であるように、インドで宗教を極めるよりゲーセンに出向いてたむろっているプレイヤを倒し征服して従わせたいみたいな欲求が無いわけではない。

だがその前に宇宙を考え深呼吸し、西洋哲学でモノを考えるところから、または漢文を読むところからやり直して方が内的な満足度は高い。そうして心を満たしてなお、外界に向かっての征服欲というのは湧き出るものだ。自制するか、可能な限り満たすか。可能でないと満たせないわけだが、そこで自分の可能性を高めるトレーニングをするほうが欲求それ自体を抑えるメンタルトレーニングよりも良いという哲学によって、インドはさらに可能性を狭められている。墓じまいブームだ。


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