インフラ老朽化問題と保守政治

「神童も二十歳すぎればただの人」

昨日は書店で魚の図鑑の小ぶりなものを買いました。子供の頃、親父に買ってもらったのは動物と昆虫、子供部屋から見つけて何年か前に今の部屋の本棚に入れました。経年劣化とでも言いますかね、日焼けで表紙が変色しているんですけど、中はちゃんとキレイで読めます。

それに今年の6月には鳥の図鑑の大きいのと植物の図鑑の小さいのを加えました。シンガーソングライターとして花鳥風月の名を覚えるため、図鑑で見るのが手っ取り早いという理由で。

では魚は何故かと言うと、暇だし自分の抱えている問題って何かと言うと、ゲーム理論とかプログラミングに分野を絞って、それで43歳まで来てみてあまりに世間知らずだから、日本の近海で捕れる魚の小さい図鑑から、まるで社会科のように生物を学ぶ手始めです。

そうしてペラペラと眺めて、ときどき読み込んで、退屈ながらもちゃんと勉強が進んでいる感じがしたんです。今本棚にある本全て覚えているわけではないけど、中学の理科の学参から、高校と専門学校と社会人で貯めた本はどこか類書で重複があり、既読感が停滞感を生むから。

その図鑑が980円の税込み1078円で、大きい図鑑を買う2800円が無かったわけではないですけど、お釣りをもらって小銭を貯めて、消費して経済を回すより貯蓄して選択肢を増やす考え方に近頃は移行してます。20代とかはお金を捨てるように使っても自分は年収をもっと上げてそれですごいことをするんだ!と思ったものですが、給料頭打ちの停滞感から、小銭をもっと上手にと考え出したわけですよね。計算できるし、それでも色々と楽しみはあって。

それで冒頭に神童とわざわざ書いたのは、俺は子供の頃に預言者だと周囲から恐れられていたわけです。宮家なので、何か言うと「おことば」として周りがそうする、というのがその仕組だろうと周囲は解こうとしました。けど、そうではなく現代ほど進学率の高くない世の中、理科実験で当たり前に想像される未来予測が不思議だった人が大勢いたんですよね。

だいたい、市民は予定の中にコントロールされていたんです。政治が決めたスケジュールに皆が合わせて「いついつにはこれをする」と内々に決まっていることが社会科学的に上手くいく。けど、2020五輪は1年ずれ込みましたよね、コロナで。俺も高校くらいで政府に従うべきか眼の前にいる教師に反発するかみたいなとこで葛藤がありました。コロナも何もかもスケジューリングされた世界経済に嫌気が差した理化学研究者がばらまいたという説もあって。

それでも日本は強かった。皆でマスクをして家で待って、オリンピック出来た。これは国民にとって、とても良かったと俺は感想を持っています、まあ家でテレビ見てただけですが。

オリンピックに来た外国人記者にも日本のことを知ってもらって、東京はすごい。日本はいろいろな機会で動いていて、とても便利だ。そういう風に国を知ってもらえたんだと思います。

ただですね、その便利な日本。これが今日の論点です。狭い島国の中に鉄道網や陸橋に架橋にトンネルや道路網、水道とか河川とか下水道とか、電話線や光ファイバーに電波塔もそうですね。そういう身の回りの交通網や伝達網をカタカナで「インフラ」と呼びます。

このインフラが、この先も便利なまま何年持つのかという話です。丈夫に見える鉄鋼や石材でも、50年とか100年経つと傷んでくるわけです。まあ工業製品でも、優良企業は耐用試験といって、何度も衝撃を与えて何回耐えるかという実験をして、長く使えることを保証して出荷するわけですが、トンネルや橋というのはそういうわけにも行かず。

そこで、模型とかで実験して、大きくすればどうなるかというのは実験ではなく計算で求める。近年のものは精密にコンピュータシミュレーションされて、何年くらいというのも伸びてきていますが、古い橋とかは電車が1日何往復、1年で365倍して10年、20年でそろそろどこが壊れるなと予測を立てていくわけです。ぴったりでは無いかも知れませんよ。けど、5年10年誤差だと思ってもらえれば、当たるんです。

さて、ここで将来は有人ドローンのようなもので移動するからもう鉄道はいらない、橋なんて用事は無くなっている、と考えてみたらどうでしょう。そんな未来予測は俺には立てられません。けど、大阪万博が2025年、その5年後の2030年、2050年、2070年には日本中の橋やトンネルや道路網は放っておいたらボロボロ、そこに地球温暖化に伴う台風などの気象の悪条件が重なれば、インフラ老朽化はもうちょっと前倒しになるかもしれない。

ドローンとどちらが未来のたmになるかは分からない、ただドローン開発とインフラ保守は二者択一ではなく、両方出来ることだとは思う、それが出来ないのは、現実問題未来派思考での投資は開発に向いていて、保守には回っていない。簡単に言うと「お金を出してもらえなくなってきている」ということなんです。

まあ、締めくくりとして身も蓋もなく言うと「おじいちゃん、死んだ後のお墓じゃなくてお孫さんが電車であちこち行けるようにお金出してちょーだい!」ということです。


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