この世の全ては俺のもの

この世の全てが俺のものになるということは街のゴミや海洋ゴミ、どこかのマンションで孤独死した老人の死体とかも俺のものなので俺の民が片付けているのだなとふと思った。

俺の家は俺の親父のものなのだが親父も俺のものなので俺の親父の家なのだ。そうすると俺の友達のものは俺のものではなく俺の友達だから俺の友達のものなのだ。

つまるところ、世界は俺のものだが俺の預かり知らぬところまで俺のものでも俺にとっては面倒なので、俺は俺の家の俺の部屋が俺のもので満たされ、欲しいものが店に並んで買うに充分なお金があって、俺の行き先だけが俺の意のままになっていれば多分それで良い。

これが恐らく昔の大名で、大名同士の戦でどこまで誰のものか決められ、地方の民宿というか宿場町だわな。大名様が来た時だけしっかりお接待して小判をもらえばそれで良い。反対に首を切られぬように「どうぞお持ちください」という考え方なのかもしれぬな。

どうにも投資不動産と言っても行ったことのない街の物件を地図とか計算だけで保有するために投資する気にはなれず、ふと「政治家は足」みたいなことは選挙のために名前を売るだけではなく、領地にたいする実地検分が行き届いているかということも含まれていないかと。

世界の全てが俺のものでも、何をどう自分の感性にインプットしたいかと考えると、実は飛鳥なものはそこまで多くなくても良いようには思う。思えば30代で株を始めた時に証券市場も不動産市場ももうダメで労働者も不足していると言われていたが、ゲーム関連株からITブームが来てバーチャルに逃避することがコロナ禍での外出自粛と相まって活況となった。

だがな、外出許可が出て夢から覚めた日常はインフラ老朽化で点検工事と燃料問題が以前よりひどくなり依然として行き詰まった日本経済の現実がそこにあるのだろうな。


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