再生数「2」とか「4」とか

なんかどんどん人気がなくなってます。

「にんき」とも「ひとけ」とも読める。

なんでだろ、という思いがないわけではないけど、人気があることの有り難さに気付けず、流行を追いかけて人気を取ろうとして目一杯稼いだアクセスを自分本人の人気と間違えて、自分の好きなことやっても同じだけ人が来てくれるとどっかで間違えちゃった。

年のせいも、俺の出すものに対する類似性からの飽きとかもあるとは思う。ただ、物語として売れっ子でも売れない時代を経験したみたいなエピソードに「ポッと出」として憧れがあって、売れなくなってみたかった、みたいな狙いというかそういうのもあるし、反対にそれが分かるからひとり遊びをそれと分かって来ていた人も放ってくれているのかも。

音楽続けるのも、ノルマ的にギター練習するのも1回休んでみようという気になりました。

それでもふとギターを手にとって弾いてみたくなる時に無理にやめるではないけど、引きたくないときでも「今日もやろう!」みたく気負うのやめます。ブログは書きたいから書きます。

カラオケからDTMに、それからキーボードに、ギターになって弾き語りして、小さい声で歌をとってギターを主役にしようとしてきたけど「歌え!」みたいな声が聞こえて。人から言われたことにしてるけど、それに従うのは自分も内心で歌いたいと願っているから。

歌ってみて、ミスチルは売れたけど先輩方からは「辛気臭い歌、歌うな」という批判もあったことを今更に思い出すんですよね。俺の人気取り狙ってた頃の選曲って同年代より年上受け狙ったら若い人にもすんなり入ったようで、まあ当たり障りのない定番のいい音楽だから下手でも聞けたわけで。

そう考えると、辛気臭くても人気があるのはそのメッセージ性の強い歌を彩る編曲の良さとかもそれを後押ししてるわけで、ファン自体は現在もたくさんいるわけだし、そこ目指すのなら仕事の足りない部分も見えてくるけど、ひとりで全部はしんどいよなって。

歌モノでもないDTMでもMacBookのチカラでそれなりに人は集まってたけど、ネタ切れ。

今度は売れない時期を経験したいではなく、今日の気持ちを振り返って「そんな時代もあったねといつか笑える日が来るわ」と、また定番の歌う言葉が見つかった気もします。

自分でそれくらい力のある言葉を歌を紡げるようになりたいって思ってたじゃないか。でもそれにはちょっと力不足で疲れてるところもある。憧れながら聴きためた名曲を知らない人に大安売りしちゃったのが計算外の失敗だったんですよね。そして原作者にも「全部自分のにしてしまわないで、曲をひとつひとつ大事にして」というメッセージももらいました。

そういう意味ではレコードの音楽から受け手の感じる主体が歌手のジャケット写真であって、自分も新しい動画が伸びなくても既に歌っている人としての記憶を持ってくれている人はいるのかもな。吐き出して空っぽになったところに、B'zの稲葉さんとGLAYのTERUさんの対談と、もう1本B'zの稲葉さんとミスチル桜井さんの対談。なんか神々しさすら感じました。

ああ、やっぱりそこが俺にとっての「神との邂逅」だったのだと自分の高校時代を思い出すんですよね。あとはGLAYのJIROさんと髭男の楢崎誠さんの対談で故人である佐久間先生の時はもう曲がかっこよくて自分はベース「ジャーン!」って鳴らすだけで良かったというお話。

偶像であるアイドルと、仕掛け人である作者の中間であり合体系に見えたシンガーソングライターに憧れたけど、それも独りで弾き語りの形にたどり着いたのはまず化粧した売り物の「アーティスト」にのめり込んでからルーツを辿って趣向が変わったからなんだよな。

その原体験となるような存在に自分は何かの仕事で貢献できるか、みたいな相談になります。

NiziUとかTHE FIRSTみたいに素材からデビューまでドキュメンタリーにする時代に何を。

「時代遅れの男になりたい」みたいにまた定番の歌が心に湧き上がってくるんですよね。

総じて「いつの日もこの胸に流れてるメロディ」であって、旋律を伴って胸に刻まれた言葉が自分の生きる意味みたいになっているんですよね。ポテチにコーラのCM見て主食ポテチとコーラで生きてる人みたいな例えが分かるかどうか分からないけど、そんな感じ。


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