感謝されたい

「人の役に立ちたい」という人は多いが「雇われて使われる」のは違う。

自分の仕事が受け手に渡って当事者として感謝されれたいのが本音だろ。

その意味で、俺の人生の大半の仕事は失敗であったと言わざるを得ない。

 

同じ寿司でもお客さんの前でカウンターで握るのと回転寿しバイトでは。

プログラマーなんて仕事も企業の下請けでやっていると回転感覚になる。

 

とはいえ職人仕事でもなく組織人として生きてきた俺が売名に走っても。

ひとりで出来る仕事だけでは商品として不備が多いなかで実名で売った。

これも失敗かもしれないなと今更に気づくのだ。成功の後の過去とは別。

 

テレビで物語のように生い立ちや練習や地道な仕事から成功する話から、

どこか自分でも自分の人生をカッコ良く綴らねばならないと思うものの。

物語をそう見せるための一貫性や成功譚として語るには記録が足りない。

 

今朝は起床が遅かったがアーマードコアVはオーダー10まで進行した。

だがまあ、それを稚拙な自慢にして語っても恥ずかしいので自重すべし。

 

おやつに食べるチョコレート1粒、ペットボトルの緑茶1杯に感謝する。

いや正確には感謝ではなく支配のような金銭感覚で接しているものだが。

感謝こそされないものの、憎まれてしかるべし相手から隠れて生きてる。

それに気づかず発表すれば感謝されるだろうみたいに考えて生きてきた。

「俺たちの血税はこんな無駄に使われているのか」と思うような公務員。

 

それでも人は誰かからの感謝の笑顔が欲しくて獲物や作物を取る生き物。

感謝に値する仕事は何か持たないといけないと昨今では思い始めている。


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