デジタル証明書を公開すると全く同じものを作られることに恐怖を感じる。
恐怖の原因は何か、俺は何に怯えているのかよくよく考えてみた。
偽証して騙す主体がそんなに怖いわけではないが、騙された衆愚の行動が読めない。
小賢しい人間は利得に従順でお金で簡単に手なづけられると侮っている節があるが。
ただ手なづける腹心は慎重に選ばないとお金に従っているだけで忠誠心は疑わしい。
例えばユニセフに寄付しても窓口に感謝されても現地の貧民には団体が感謝される。
靴を履きつぶしてゲーセン巡りしていた頃は放送とかの有名人がうらやましかった。
しかし、こうして自分のメディアを持ちネット上で人柄を推察される立場になると。
レスポンスの表情が読めないということがあらぬ不安を掻き立てる原因になりうる。
まあ、簡単な話でただ俺が心配性の性格であるということだけなのかも知れんがな。
お寺の檀家がお布施を断ると坊主が他の家に悪口を吹き込んで恐怖を煽る策に出る。
もともと仕事をしていないヤクザにゲーセンやトレカで餌を与えて放ってきたので。
カモにはされなくなったが、マーキングはつけられてしまったため防衛の策に悩む。
ヤクザも働かないので、ネットにゲームの証拠画面を貼れば金になるなどと考える。
それなら自分も同じ写真を作って貼ってやろう、と安易に考えているとでも言える。
それは安易なのは俺の方にも原因があって俺と同じ自慢を別の奴がしても困らない。
小学校からオリジナリティ、アイデンティティ、個性を尊重する教育を受けたので。
自分と同じような奴がいて没個性的になることに抵抗感があるのだろう。嫌に思う。