イタズラすら許してはいけない

先に冤罪や犯罪教唆の話を書いた。イタズラやからかいと犯罪の線引きは難しいと思う。

ただ、司法、立法、行政に上がる人間が元々身分の高いものであった時に、幼少期から厳しく育てられイタズラも「するものではない」と躾けられて育って法を作り出したとする。

しかし時代の流れで人選の方法が民主化して、昨今では「NHKをぶっ壊す」と言って票を集め政見放送でイタズラ放送をするというところまで国営放送まで認めているところである。

その時代において伝統的に守られてきた法律の中に時代に合わないものが含まれているということがその昔に作られた法を知ってか知らずか犯していることよりも問題であり、罪は軽微であるという認識を市民や警察は持っているということかもしれない。

法の精神として秩序を守ることを考えたら、子供のいたずらで大人が困ることもあるわけだから、究極的にはイタズラすらも許してはならないということになる。その社会に果たして自由があるかというと、ほとんど無いとさえ思う。自由と秩序は元来の為政者が自由で民は不自由なものだった。そこで為政者に不自由を強いるのと民に自由を与えるので両者に公平性を与えるというところが憲法の理念であるが、それから法律となって政府があって役所や警察があって、そこで働く公務員がいてそうは成れない市民がいて、実際問題となった時にお金を持っていれば罰金刑で済む法律なら金持ちだったら犯し放題なのが実情ではないだろうか。

元々、為政者と市民の間で約束された公平ではあるが、同時に貧富の差もあって貧富については別の問題だが公平性の名の下に政治介入を繰り返してきたわけだ。その中に賭博の禁止も含まれて、イタズラで済むかどうかは1円でも賭けたら違法。イタズラは秩序のためにはどこで線を引くかではなくイタズラすらも許してはいけない。この線引きが秩序の観点から正しい。

そうすると、俺は賭博を楽しんで遊ぶ自由というのは手放さなくてはならない。秩序と自由を両方為すことは厳密には出来ないということを甘んじて受け入れ、どちらにより重きをおくかという問題になり、イタズラすら腹立たしいのであれば自らのイタズラを自重すべきというのが公平だろう。公平なんてなければ俺のイタズラが派手で面白くキューピー堂のおばちゃんのイタズラは陰湿で許せないという勝手気ままな采配でもって気楽に生きられるのだが。


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