自キャラへの感情移入が勝敗の原因

格闘ゲームの気持ちよさは大きなキャラがアニメで動き、キャラの殴るアニメが相手キャラの絵と重なったら相手のキャラが殴られてよろけたアニメになり、スピーカから音が出て当たった場所に小さな花火のような演出が出て、さらにストZERO3では画面全体が少し揺れる。他には体力を示す黄色のゲージが一定量赤に変わり、追随するように赤い部分がアニメで少しづつ減ってゆく。これらを総合して殴ったことを疑似体験して破壊欲求を満たしている。

これらは自分の操作キャラに感情移入して、ボタンを押してパンチやキックを出すことが命令で、命令した通りに動いたと認知するから、そこに成否があって当たったら嬉しいという心理が働くことも手伝っている。それがビデオ視聴よりも操作体験をしたいという欲求ともつながりゲーセンで台にコインを入れる動機付けや購買意欲に繋がっている。まあ、ファンだから買う、買ってもあまり遊ばない問いう人もいるかもだが。

それが最近ではほぼ全ての効果を無視してゲームプログラムとして、対戦型のゲームとして格闘ゲームは遊ぶに値するか、そして何らかの攻略法があるかということを考えてきた。それはそれで俺にとっては有意義だったが、そもそも卓球ゲームのPONからコンピュータと対等に戦うタイトースペースインベーダーなどの歴史を振り返ると、研究を進めるというよりもゲームの歴史をフォンノイマンの時代まで遡る勉強の時間だったと今では考えている。

なぜ面白いか、勝っても負けてもテレビの中で絵が動くだけのゲーム機をどうして中流家庭の子供が欲しがるかというテーマにまで遡り、それらは昭和後期に敗戦から復興した日本社会が退屈なものであったからという結論に達した。貧しくなると退屈する余裕はない。ライフワークバランスとワーキングプアということが社会問題化しているが、その中でも事務仕事にコンピュータが使われている。これは働かずにお金は欲しいがお金をコンピュータに使って仕事をコンピュータに任せたいというような循環論理でもって、みずほ銀行のATMがシステム障害で動かなくなると自動でお金を引き出せなくなって預金者が苦しくなったというような現象に決着する。

昨今のゲーム機はコントローラが有線ではなくリモコンになっているが、これが電池ビジネスと密接に関わっていることを指摘するものは少ない。消費に明け暮れるではなく、せめて消費してきたものの価値について改めて考える程度には俺の生活がルーティンワークから退屈になったということなのだろう。


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