冬の葬式

親父が73の誕生日を迎え外でお祝いしてもらい手土産の寿司折を下げて帰った。

その寿司を今日の昼飯としたが親父も起きてきてカップラーメンを食っていた。

寿司は痛んでいないか少し不安なので食後にコーヒーと一緒に整腸剤を飲んだ。

思い起こせば俺が小さい頃も貰い物の寿司折は押し付け合いで俺が食っていた。

「うわぁ、ご馳走やね、ええのんもろたね」とか囃し立てて皆で食わすのだが。

俺は高校くらいまで年の半分は下痢をしているような子供だった。嫌気がさす。

 

そうして、高校くらいになると周りに医学部志望の医者の息子などがいたので、

「お前さあ、家で絶対に親に変なもん食わされているだけやで」と諭してきた。

まさか自分の親がそんなだとは信じ難かったし、思っても明かすものでもない。

思えば自分の食の好みにも魚の寿司よりカッパ巻の方が安心して食べられる等、

世間でいう「マグロの寿司が旨い」なんてのは大阪で働いて外で食って知った。

新鮮な寿司でも最初は恐る恐る食っていたので旨いと思えるまで時間を要した。

 

もちろん、病で死ぬほど変なものを食わされ続けたわけでもなく半分はカレー。

カレーや鍋物は親も祖父母も同じものを食うので、そういうものは安心してた。

だからゲーセンに入り浸って不良と喧嘩したり騙されたような話も合理がある。

痩せていて、下痢が多く病弱な俺は貧しい子供だと思われて優しくされたのだ。

食や素行の面では貧しくとも、しかし財布には金が入っている。それを狙った。

俺が狙われたのは不良ではなくそれを囲むように付き合っていた大人達だろう。

不良だって喫茶店で「茶をしばく」以上はお客さんで俺はそのお財布係だった。

 

今では子供の頃に何が起こったかは大体のことが分かる。問題はこれからの事。

今年はせっかくの貯金を株に騙し取られてしまった。俺は食をケチって貯めた。

ただ、闇雲に食費を使えば良いものが食えるというものでもない。難しいのだ。

そもそも冒頭の土産の寿司折にしても、外で食べるご馳走のお土産物だからだ。

 

そもそも寿司になる前は俺は「ほっかほか亭」ののりスペシャルを食っていた。

それを親戚のおばあさんが町の噂と聞きつけ身内に独り身で弁当は恥ずかしい。

そう言ってもらってくるのが痛んだ寿司折なのである。値段で言うと高かろう。

 

分かれば分かるほど俺の生家の周りの事情というのはエグい殺し合いの様相だ。

それでも俺の暮らしは家でテレビを見ている楽なものに周りからは映るだろう。

映るだけではなく実際に楽でもあるのだろう。ただし、困り事は食事の調達だ。

買い食いなんて恥ずかしいと言われるが買う以外にどう飯を用意すれば良いか。

 

年金暮らしの老人達に働かされる調理場の人間が生物で殺しにくるのも分かる。

子供の頃から、その毒だけをとばっちりで食わされてカッパ巻が好物になった。

とても冷たく不躾に映るかもだが、貰い物はそのまま捨てて温かいものを食う。

そういう人間も嫌味になるに十分な合理性があるのだろう。世の全ては合理だ。

 

これぞまさに「わが柳町 大和郡山市 奈良 ジャパン アース スペース」なのだ。


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