ヒスブルの「なぜ」をCにしてみる

 4年くらい前にヒステリックブルーの「なぜ」をDm7からCにするという、今思うとわりかし滅茶苦茶な記事を書いたのですが、コードが合わない原因についてギターを下げたら歌も同じだけ下げないとハーモニーにならないからだろうという結論になり、Cから2弦を開放にするのコード名忘れたけど、それでも歌下げたらいけました。年食っていい加減な感性になっただけかもしれんが。

 NHKの「みんなのうた」で流れてくる「ギターケースの中の僕」はコーラスと作曲が浜田省吾さんなんですね。ずっと気にせずかかっているのを聴いていましたが、自分で弾いてみようと譜面を当たって「そうだったのか!」となり、あらためて聴くと。まあ、あたらためて聴いても録音されたものなので曲は一緒だし、聴き手である俺の感性もそこまで情報に左右されるものでも無くなったなぁ、とは思いますが。

 ギターの早弾きの練習だけは毎日欠かさず続けているのですが、上達はとても遅く、その分だけ自分自身のほんの小さな進歩にフォーカス出来るようになり、人の音楽を聴いてもそれだけ細かく分析して流行りのJ-POPは忙しすぎて何度も聴かないと一部しか入ってきません。演歌とかの方がね、歌がゆっくりで伴奏との絡みとか進行が一発で入ってきて楽です。

 あと何年も日課にしていた格闘ゲームは最近はやめています。してなくても想像上で展開を考えちゃったり今日もツイッターで昔つるんでいたゲーマーさんに「おおフォロワーいっぱいおるおるおる」とか思いながら最新の大会動画を観戦したりとかするんですけど。

 中学くらいでね、PCエンジンシューティングゲームとかしてて、そん時はゲーム音楽に漬け込まれて暇なときに空を眺めて音楽妄想で将来は大作曲家になるような夢を描いてたと思うんですよ。

 けどまあ、音楽って「盛り上がり」ってテーマがあったらそれはそれで定式がたぶんあって。そして人の感情って波打つから、盛り上がりばっかりで終始してもどこかで人は冷める。だから長いコンサートとかには意図された退屈とか不安とか安らぎがあって。その中で退屈にフォーカスして、退屈な中にもさざ波があるわけで。そういうのばっかり取り扱うのが最近の取り組みではないかと。

 ゲームにちょっと話を戻すと、1日の内にひと勝負分くらいの緊張があるのはそれはそれで良いとも思うんです。いくらお金持ちでも1億持ってて全財産賭けてジャンケンしないかって誘われたら、断ると思うんです。買ったら倍だよとか言われてもね。それを細かくして、3分に100円賭けないかと言われたら、最近はそれでも嫌ですよね。板チョコ1枚買って、1日で3分の1から半分くらい食べる方が良いみたいな金銭感覚ですから。マクドや肉まんでも良いし。

 そうすると、その生活で音楽にかける時間はというと、これも人生賭けるほどではなく、1日5分10分のお稽古で上手くなれるなら、みたいに始めたことであって。大きなテレビで相撲見てたら試合のたびに拍手が鳴るんですよ。その拍手で十分なんですよ。多分子供の頃におじいちゃんと相撲見てて、拍手を聴いていたんだと思うんです。それが何時からか無くなって、喝采を求めて野球選手になりたいとかミュージシャンになりたいとか言い出すんですけど、ゲームプログラマーになりたいも映像からプログラミングまでやって、あと音楽ってところで映像とプログラミングに全振りして、音楽ちょっとかじってドラクエのレベルアップのファンファーレをキボードで弾けるようになったら指をちょっと動かすだけで気持ちよくなれて。

 それできっと自分の求めているものは音楽の中にあるはずだってなってきて今に至るんですけど、相撲の後の拍手くらいでも良いもんだなって思ったんです。

 あとは俺の妄想が病気もあるとは思うんですけど、曲の組み立てのためには先んじて想像があるべきで、俺だけに聞こえているものを客観的に他人に聞こえる形にしてゆく作業だとは思うんですよね。似たような病気の先輩やらに教わりながら、ちょっとずつ形にしたいです。

 いや本当に今日はヒスブルの「なぜ」の歌い出しをいじるだけで満足だったんですけど、4分の楽曲がそれで想起されるからなのか本当に歌い出しだけでも気持ちいいものか客観的には分からなくて。NHKのドラマの1分のオープニングを毎日聞くとそれだけで気持ちよくなるもんだとは思うんですけどね。そうすると先にも書いたけど退屈処理の方が音楽の大きなテーマじゃないかって思うんですよね。

 忙しすぎず退屈すぎず。人の波に合わせて。短い時間で快感が得られるならTikTokとかの時代には有利に働くかなとも思うけど、ネタの引き出しとしてはまだまだ少ないですよね。

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