善悪は虚構というより古典的哲学かなぁ

 表題の通り、現代哲学は認識論に基づいていて宇宙の中に地球があって人間が住んでいて全ては分子で出来ていて分子は原子や電子中性子とかで出来ていて、それより細かいものは未だ分からないけどそれらで出来た物質を光や音の波で人間が見る聞くということが出来て、さらにモノには触れることも出来て味わうことも匂いを嗅ぐことも出来て、そうして外界から五感を通して神経に伝わったものが脳に記憶として蓄積されて思考の元となる。

 その辺が現代科学では揺るぎないとされるけど、世の中には古典や伝統があり、憲法や法律などの社会のルールを学んでいくていく上で、法が作られるに至った過程を歴史として学ぶと自然な認識論が誕生する以前から存在した善悪などの概念と対峙することになる。現代から見ると虚構に思えることもあろうけど、人間の感性に歴史を超えた普遍性があるという立場をとると、快い方を目指すと善になるだろう、みたいな方針が立てられたんだと思う。

 そう考えるとやがて書物の中にしか無くなる概念なのかもしれないなぁ。

 どうでもいい俺の日記を蛇足の如く書き足しておくと、一念発起して新しいゲームを作ろうかと意気込むもののワープロとかプログラミングはやる気が起きても絵はなかなか書く気にならず、俺にとって絵を描くという作業は命を削る感覚なんだ。

 麻雀漫画「哭きの竜」作中に「命を削って牌を切る」とか表現されてたと記憶してるけど、要するに人生の時間を何に使うかは勝手だけど生命維持に必需の食事とかでも現代では料理された美味しいものを食べるわけで人間生活には色々の面で娯楽色がつきまとう。その中で楽しくないことやしんどいことをするのは限られた人生の時間を縮める、寿命が縮むわけではないけど80歳まで生きるとして80分の1である1年間を麻雀に使ったとなると人生1年分損してるみたいな解釈。

 そう考えるとギターの練習は続けるのは苦もあるけど神経に痛みが来たり小指が痺れたり生体的な反応があるまでは続けて、楽しんでいるので今は絵ではなく音楽を掘り下げようと音楽理論の本などパラパラと眺めて、そこにはある種の充実を感じたので良しとする。

 まあ、それでも人生有意義に満たすとしても睡眠は必要なように十分な睡眠が取れていても尚その上で筋肉、神経、内蔵、脳、骨、どっか休まってないから俺は病気なわけで。なんかでも音楽そのものではなく活字が印刷された音楽理論の本に癒される感覚はあるよな。


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