生き辛い

 優等生キャラとして生きても完璧になれない以上はどこかでボロが出て後ろ指を指される。人間だし、人間社会とはそういうところがどこかにあるからだ。

 だがそれを嫌って初めから笑われて舐められているお笑い芸人のようなキャラとして生きて、人を騙す。それはひねくれた楽な道であり、笑われるというのが辛い人間ではできないし、馬鹿にされていることを狙って騙しているという後ろ暗さをどこかで処理して発散しないといけないので、私生活の荒れている印象を持つ。もちろん、それでも家族を持って充実しているということもあるだろうが、あんまり面白くない芸でも事務所から仕事をもらってコメンテータとして食っているサラリーマン芸人みたいな人がそうで、元の意味のお笑いとはちょっと違う気がする。

 賢い振りも馬鹿な振りも結局はその人の本性ではなく世を渡るためのフリであるわけだから、俺の本性は何かと言うとテレビッ子というところなのかもしれない。見るのが好きで電車に乗っても周りの人をジロジロ見る癖があった。そのせいで強い人に絡まれたりしたが治らず、ついに年を食った後に強い人に絡まれて喧嘩で殴ったせいで相手が悪いのにこっちが警察を呼ばれて怖い人として扱われだした。

 それから人とあまり目を合わせないようになり、普通の人となった。人間観察とかも興味がなく、目を合わせる人や見るテレビ番組に話す内容などを考えて選び、賢いわけでもなくバカなわけでもなく普通の人ってどのくらいのことを話すんだろうと当たり障りのない線を選び、テレビで若い人が賢く映るように撮ってもらっていると少しの嫉妬を感じる。

 上流社会では賢そうに振る舞うのが普通という前近代的な普通に逆行して、そこに自分が混ざれないだろうなと思うからだ。ファッションや髪型に所作に発言その全て完璧が求められるとそれが求められた通りに振る舞った時に虚飾は実像となる。そういうものだろう。

 もちろん、その嫉妬から醜聞や暴露によって失脚するとこの話の序段に戻って螺旋階段がひとまわりするわけだが、今の社会は賢い人を妬むのではなく有難がって受け入れる素地もまたあるのかもしれないなとテレビを見ながら思っていた。

 出世するとか垢抜けるというのは、相応に付き合いが変わって順応した姿が昔の付き合いとは際立って違って見える時に言われるのだろう。出世した人やおしゃれな人を真似ても付き合いが変わらないと浮くだけだ。それでも、俺が感じているのは自分だけ浮いてしまったり付き合いを変えるということではなく、自分の住処であるこの町に順応して、そして贅沢を言うなら、そこでハイヤーセルフをさらけ出しても付き合える人を見つけることだ。

 もちろん、町なのでずっと住んでいる人もいれば移り住んできた人もいるし俺自身も帰ってきたという話ではある。統一感のない街並みには色々の店があり、下町風より都会風の店もある。外国の田舎を思わせる店だって。そこに普段着で入って買い物袋を持ち、どこかに帰ればいいのかもだが、残念ながら俺はその中に隠れ家として住んでいるのだ。

 特殊だと思う。住んでいるなら店先で商売をする格好が普通だからだろう。そして町の中で商売を営むということは、決して自由奔放で気楽なことなどとは縁遠いわけで。通りのお客様に混じって買い物を楽しめる分だけ生き易い側なのかもしれんよな。

 それでも感じる、生きづらさよ。


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